若草幼稚園
若草幼稚園は、子どもたちのための幼稚園でありたいと考えています。
園庭はいつでも開放していますので、天気のいい日を選んでお越しください。
〒790-0814
愛媛県松山市味酒町3丁目5-1
学校法人 若草学園 認定こども園 若草幼稚園
TEL 089-993-8182 FAX 089-993-8183
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生活環境

2/1/2001

 
今日は天気もいいし、西山公園まで遊びに行こうということになりました。西山公園は城山の向かいにある小高い山で、山の上には何やら西洋のお城のようなものが建っています。以前は自然のままの山だったので、時々虫を捕りに行っていた場所なのです。けれども、開発され木々は切り払われて、そこに新しい木が植えられています。全く違う場所になってしまいました。

それでも頂上にはいい風が吹いているし、芝生に寝転ぶと気持ちがいいのでたまに遊びに行くのです。

駐車場にバスを入れ、登り始めると、すぐ隣に幼稚園バスが止まりました。園長先生とは親しくしていただいているA幼稚園でした。子どもたちは揃いの体操服のユニホームでバスから降りてきます。服装が同じだと表情も同じように見えてきます。若草幼稚園では園のユニホームがなくなり、私服で園の生活をしだして、15年近くになるので、わたしは同じ服装をした子どもたちの集団をみるとドキッとしてしまうのです。子どもたちも、そのことが当たり前のように慣れてしまうことがこわいのです。

バスから降りるとすぐ整列が始まりました。わたしはしばらく見ていたのですがあんまりそれが長い時間なので先に登ることにしました。10分以上たってA幼稚園の子どもたちは上がってきました。すると今度は全員が体操ずわりで保育者の諸注意が始まったのです。子どもたちはいつになったら遊べるんだろうとひとごとながら心配になったことでした。

そういえば、昨年の冬にも同じような姿を見たことがあります。スケートに行ったときのことです。私たちはスケートというより氷遊びといった感覚でいましたので、子どもたちは滑ったり、転んだり氷を触ったり、こっそり氷を割ったりしています。キャーキャーと笑い声がたえません。

そこへまたそろいのユニホーム姿のB幼稚園がやってきました。突然、子どもたちは壁際のてすりに一列にならび、「いっちにい、いっちにい。」号令が始まりました。彼らは号令に合わせてスケート靴の足を前後させているのです。20分も続いたでしょうか。今度は次の段階の整列がかかり号令が始まったのです。それが帰るまで続きました。若草幼稚園の子どもたちはそれが何をしているのか理解ができなかったようです。「おまえら、何をしよるんぞ。」と代表の誰かが聞きにいっていました。帰るときには「まだ、すべれんのか。」と捨てぜりふを残してスケート場をあとにしたことでした。若草幼稚園の子どもたちは何時間か氷と戯れているうちにほとんどの子どもがスイースイーと滑れるようになっていたのです。

B幼稚園の子どもたちは、スケートが楽しいと感じて帰ったのかなあといらぬ心配をしてしまうことでした。

これは極端な場面なんだとしても、これに近いことは、いたるところでみられます。子どもたちの意思を無視した形での対応なのです。

子どもたちはそれでも明るい顔をして毎日の生活をしています。

自分のおかれた環境に順応して行く能力を持っているし、そしてその環境にあわせていくしかないということを本人は意識していないでしょうが、理解できているように思います。

わたしたち大人と子どもたちの間には体力的にも知識的にも人生の経験においても、大きな差があるのです。それはどちらが良いとか良くないとか、いうことではないのですが、歴然とした差があるのです。そのことをわたしたち大人がいつも意識していないと、どうしても威圧的になってしまい、そのことで子どもたちは自分の意思を引っ込めてしまう結果になってしまうのです。そのことに気がついていない大人が何と多いことでしょう。特に幼稚園・保育園などの幼児教育に関わっている人たち、それを職業にしている人たちは大いに反省をお願いします。

子どもたちは自分の意思で生活する権利を持っています。そして大人はそれそしっかり守っていく義務があるのです。子どもたちにとって住みやすい環境を作ってあげたいものです。

子どもたちの未来

2/1/2001

 
「子どもたちの未来」。改めて子どもたちとつけなくても未来という言葉は、私たち先の見えた年よりのためのものではなく、今から人生を始める子どもたちにこそ最もふさわしい言葉だと思います。その未来が、彼らを取り巻く自然環境・教育環境・人間環境等を思うと本当に明るいのか、子どもたちに「君たちの未来は楽しく明るいよ」と心から言ってあげることができない自分がここにいることがつらいのです。

ちょうど、一年前になります。
2月27日、京都で絵本作家の田島征三さんにお会いしました。“ちからたろう”が小学校の教科書に載っていて“やぎのしずか”などたくさんの絵本を出版している、あの田島征三さんと三条京阪で待ち合わせをし、喫茶店でコーヒーを奢ってもらって(自慢!!)二人で3時間近くお話をしました。

殆どの時間がお互いの子供時代の話になりました。昔は良かったなどとは口がさけても言いたくない二人なのですが、楽しかった4,50年前の自然の中での遊びを思い、今の子供たちを取り巻く自然環境と比べて見るとどんどん心が沈んでいきます。日の出村のゴミ処理場問題で自然環境の破壊と真剣に向かい合っている田島さんにはより大きな心配があることでしょう。太陽の光に当たることさえ気をつけなければならない“今”なのですから。

彼はよく幼児期の川遊びの話をします。映画“絵の中の僕の村”でもそんな場面が登場しました。川の中でドジョウやドンコを追い込んで素手で捕まえる話です。素手で小魚を捕まえたときに手の中で動くグリグリ感が忘れられないと言います。それは生命そのものだったそうです。いまでも彼の描く絵の原点になっているとまで言いきります。人間の原体験と言うのはそれはど大切なものなのでしょう。一生の価値観や感性にまで影響を与えてしまうもののようです。

私たちは子どもたちのそんな原体験を見ることのできる素晴らしい現場に立ち会わせてもらっています。そんな職業は他にはありません。楽しい原体験こそが生きていく力になります。子どもたちに感動的な体験をしてもらえる環境を整えていくことが私たちの大切な役目なのでしょう。そしてそのことが子どもたちを安心させ安定させ自立へと向かわせ、明るい未来が見えてきます。

けれども子どもたちを取り巻く現実はそんなに甘くはないのです。皆で力を合わせて子どもたちの未来を守りましょう。

自然とともに

9/1/2000

 
先日の日曜日、仲間と一緒に友達と久万の山小屋へ遊びにいってきました。夏には幼稚園の年長組の子どもたちと泊りに行く丸太の山小屋が久万の山中にあるのです。この小屋は大勢の友達に手伝ってもらいながら、あしかけ6年ぐらいかかって完成したものです。山間の小高い丘にあって回りは栗の林で、大変ロケーションのいいところです。
栗林の下には小さい川が流れていて、いつもかすかに水の流れる音が聞こえています。

耳をすますと、鳥の声や風の音やそれからじつにさまざまな音が当たり前のように聞こえてきます。それから自然の匂いを感じます。
樹の匂い、土の匂い、草の匂い…毎日の生活の中では感じることのできない匂いが心地よく匂ってきます。

けれどもそんなことよりももっと比べようがないほど私が好きなのは、時間がゆっくりと流れるということなのです。毎日を忙しがって生きていくことでストレスをためながら時間を過ごしている私たちの心をボーッとなにもないまま過ぎていくゆったりとした時間が癒してくれるのを実感として感じることができます。そんな力を感じるために時々は自然に囲まれてみるのもいいもので、ぜひ、ご家族で経験してほしいと思います。

バンド仲間とその家族プラス友人数人の2歳から48歳までの総勢25人という大所帯で山に入りました。バーベキューをしたり、なべをつくったり、食べることがほとんどを占める集まりでした。男たちの間では、奥さんたちには何もしてもらわないようにしようという申し合わせができていました。日頃の罪滅ぼしのつもりです。

とりあえず、それぞれが自分の得意のこと(火おこし・山菜採り・鍋等)で、なんとなく役割分担が決まりました。得意のない人はおしゃべりが始まります。子どもたちはそれぞれが思い思いの場所で思い思いに遊び始めました。タイムのスケジュールは全く決めていないので急ぐとかあわてるとかそんな感じは全くありません。食事の準備ができたものを、おなかのすいた人から食べていきます。

炭おこし係りの菊池さんの炭が最初におこりましたから焼き肉バーベキューが始まりました。その匂いで子どもたちが一番に集まってきましたので、子どもたちのおなかを最初に膨らまして落ち着かせようと大人は考えました。落ち着いて子どもたちは子どもたちで遊んでもらって、大人もだらだらと自分のしたいことで過ごしたかったのです。そのころにはおしゃべりが始まっていました。
時間を気にせずにおしゃべりができるのは、その内容がどうでもいいような世間話であっても人生に大切な話であっても快感です。そしてまわりは美しい緑であり、清々しい空気なのです。大いに癒されます。自然の力は大いなるものがあるのです。

そのうち、林さんの係りの鍋もできあがりました。この鍋には高浜に住んでいる三好さんが漁師さんから分けてもらった“ほご”が20匹も入っていて、みそ味と醤油味と2種類あります。これは絶品でした。
箭野さんが隅のほうで一人で何かこっそりつくっています。聞いてみると鳥のワイン煮で、もうすでに昨日練習は済ませていたようです。とにかくそのころから大人も食事が始まりました。バーベキューには松浦さん得意のじゃがバター焼きがアルミホイールに包まれて炭のなかにほうり込まれました。
とにかく、全員が食べるは食べるは普段のおなかいっぱいの3割増しくらいは食べたでしょう。

その後、句会をしたり、ギターを弾いて歌を歌う人がいたり、にわか雨がふったり、いろんなことがなんとなく始まったり終わったりしながら、(英美ちゃんと子どもたちのとってきた山菜のテンプラが時間の関係からできなかったのが残念でしたが)真っ暗になるまでいて「また来ようね、また来ようね」といいながら山を下りました。

本当に人間は自然に囲まれているのが、絶対条件なのだといつも思っています。人間は地球の一部分なのだし、お互いが癒し合う関係であるべきだと思うのですが、今は一方的に人間が自然を破壊し続けているというのが現実でしょう。自然の優しさを感じることができたら、そんなことはできなくなるのだろうと思います。

子どもたちと一緒に積極的自然に入りましょう。自然に優しく包んでもらいましょう。松山にはまだまだそんな自然がすぐ側にあるのです。土の声、風の音、木々のささやきを感じてみましょう。大人は感じる事ができなくなっているかもしれませんが、子どもたちは感じることができます。 そして、癒された優しい心で競争するのでなくお互い思いやり合う生活を始めましょう。人間は本来優しく生まれてきていると思います。
1995年愛媛雑誌掲載 ざっくばらんより

運動会

9/1/2000

 
運動会
10月は運動会の季節です。気候もいいし、子どもたちにとって一番楽しいはずの時期です。
ところが、2学期が始まるとすぐに、運動会の練習が始まる幼稚園が多くあります。幼稚園のそばを通ると、ピーッという笛の音が聞こえたり、保育者の大きなヒステリックな声が園庭に響き渡りだします。

また、それに比べて、いつもと同じような落ち着いた幼稚園生活を続けている園も少数ですがあります。幼稚園が運動会をどうとらえるかで、運動会の前後の子どもたちの幼稚園での生活は大きくかわります。
運動会の時期だけのことでなく、子どもたちが1年中遊ぶためにあるはずの園庭もたった1日の運動会をするための運動場になってしまっています。道具や樹はすべて隅のほうで小さくなっていますので、園庭には陰がありません。夏の暑い時期に子どもたちはどうやって遊ぶんだろうと要らぬ心配をしてしまいます。

そして、その練習は10月の運動会まで延々と1ヶ月以上続くのです。その間には子どもの意思は認められません。大人(保育者)が決めた計画にただ黙々と従うのみなのです。「今日はかけっこがしたい」とか、「お遊戯がしたい」とか関係ないことなんです。本当は、そんな子どもの意思を認めていくことの積み重ねこそが、子どもの自立につながっていくんですよ。

誤解をされないうちに書いておきますが、若草幼稚園でも運動会はあります。運動会の当日も含めた、その前後の日々が子どもたちにとって楽しい日々であるかどうかだけを考えて計画をします。大人に見せるとか、見てもらうとかいう感覚はありません。大人は子どもたちが楽しい1日になるように、一緒に参加していただこうと思っています。

当園は、樹がたくさんの園庭なので(園庭の真ん中にも植わっています)広い場所があまりなく、ゴチャゴチャしているのですが、子どもたちが毎日を過ごしている場所で運動会をしたくて、ここで出来る事をする様にしています。練習はほとんどしません。お遊戯は1回か2回してみますが…そのかわり毎年、運動会の1週間くらい前に“パン食い競争”を、年少から年長まで全員で楽しみます。パンは近所のパン屋さんで特別に小さめのをつくっていただきます。

いつも子どもたちの盛り上がりはすごいものがあります。けれども実はこの種目は運動会には無いのです。もうすぐ運動会があるよということを感じてほしいだけなのです。そして、それは期待に満ちた楽しみであってほしいのです。そのころには子どもたちは自由な遊びのなかで、リレーなど運動会の遊びが多くなってきます。

その遊びは運動会が終わってからのほうが、遊びとして広がっていきます。

15年くらい前までは、若草幼稚園も暑い園庭で毎日厳しい練習を繰り返していました。鼓笛隊もありました。行進の練習まであるんですよ。今考えると子どもたちに無理なことを押し付けていたなと、反省の毎日です。
鼓笛隊は楽器をあつかうことと行進と二つのことを一緒にしなければいけません。楽器をあつかうというだけでも5歳の子どもにとっては非常に難しいことなんです。無理をさせているんです。それを子どもたちに強いている保育者はほとんど解っているんだと思います。ある幼稚園の園長が「鼓笛隊をすることで忍耐を教える」といったというのを聞いたことがありますが、そういう人もたしかにいます。無茶な話だと思います。音楽は楽しむものです。生涯楽しむものです。それを忍耐から音楽経験の出発をしてはいけません。

子供たちは毎日を楽しく過ごす権利をもっていると思います。「今日も又、運動会の練習をするんだろうな」と思いながら、幼稚園に来させてはいけません。幼稚園は「今日は何があるんだろう」「何して遊ぼう」新しい体験を期待する“わくわく”さこそが幼稚園の大切な意味だと思います。

子どもたちは無意識のうちに大人の期待にこたえようとします。そしてそれは相手の大人が好きであればあるほどそうです。だから、お父さん、お母さん、保育者は子どもに過大な期待をしてはいけません。それは子どもたちには大きなプレッシャーになるのです。彼らはそのプレッシャーを感じながらも努力をします。だから、“がんばれ・がんばれ”で毎日の生活をしてほしくありません。“がんばれ・がんばれ”は子どもたちののびのびさとは逆の方向です。のびのびさは、子どもたちがそれぞれ、“自分の方向”にのびていくことです。それは頑張ってできるということではないのです。

こういった運動会は、人格を形成していく上で大切な時期3歳からあと、小・中学校へ、なんと10年以上も続いていくのです。
りゅうすい・たつや 1947年南宇和郡西海町生まれ。
71年若草幼稚園(松山市)園長

あるがままに

9/1/2000

 

無神経な教師

8/1/2000

 
無神経な教師
1994年度の子どもたちが卒園し、小学校に入学してからもう4ヶ月たちました。

時々、幼稚園を思い出してくれることもあるようでたずねてくれます。先日もMちゃん親子が久しぶりに顔を見せに来てくれました。結構長い時間おしゃべりをしました。

Mちゃんのおかあさんは「若草幼稚園にくるとホッとする」といってくれました。そういえば時々そんなことをいわれます。いろんな大人が「落ち着く」とか「気持ちがいい」とか「癒される」とかいろいろな表現ですが、若草幼稚園という場の持つ心地よさを伝えてくれました。たびたび、そう言われるので私は考えてみました。毎日若草幼稚園にどっぷりつかってしまっている私には感じることができなかったことだったんです。

子どもたちが持っているパワーやオーラが幼稚園を包んでいて、とっくにそんなものは無くしてしまっている大人たちを心地よくしてくれているような気がします。

話が訳のわからんところに脱線してしまいそうなので元に戻します。
Mちゃんのお母さんとは当然「小学校は楽しく行っていますか」というお話になります。「友達もすぐにできて楽しそうに通学していますよ」との返事にそのはずだと思いながらもホッとするのでした。そのあとお母さんとのお話の中で小学校のおもしろい話をお聞きしましたのでご紹介しておきましょう。

Mちゃんは感性の素晴らしい子どもです。そのために友達と衝突をすることも時々ありましたが、おもしろい考え方をする神経の繊細な子どもでした。
そのことはこの話とは関係ないかもしれませんが。ある日、Mちゃんは宿題を書くノートを学校に忘れて帰ったんだそうです。そこでお母さんと「どうしたらいいんだろう」と相談をしました。お母さんが「とりあえず別の紙に書いて行ったらいいよ」と言い、Mちゃんもそれがいいなと考えてそうすることにしました。

ところがそのことが学校で担任に叱られることになったのです。そんなに強く叱られたのではないようですが、それはよくないとMちゃんに伝えたそうです。(私には何がよくないことなのか全く理解はできません)その先生はあまりにMちゃんの心に無神経なのではないかと思います。

まず、お母さんに相談し話し合うことができたことを子どもと一緒にに喜ぶべきでしょう。

それからお母さんの素晴らしい意見、「無ければ別の紙をつかう」。これは生活の中で当たり前の知恵でしょう。それを「よかったね」と言ってあげることが教師の仕事だと思います。それをすべて否定してしまった担任は大いに反省をしなければなりません。繊細なMちゃんの心は傷ついたにちがいありません。

子どもたちの心の傷は大人には解りにくいのかもしれませんが、子どもたちと一緒に生活をし、それを職業としている大人には許されないことだと思います。

もう一つは別の子どもの話ですが、S君がやっぱり宿題のことで解らないことがあって、直接担任の先生へ電話をしたそうです。ところがその担任の返事は「学校で私の話を聞いてなかったのですか」でした。S君はそんな言葉がかえってくるとは想像もしていなかったでしょう。

大好きな先生と電話で話して解らないことをおしえてもらおうと、ウキウキしていただろうと想像できます。すごいショックだったでしょう。その先生はS君との心のつながりを自分で断ち切ってしまったのです。自分の言葉がS君にとってそんなに大切なこととは意識していなかったろうと思います。けれどもS君の心を取り戻すには大変な努力が必要になってくるということも知らないんだろうなぁと想像できます。そして、その先生が子どもを自分の考えたとおりにさせることで、その子にどんな大人になってほしいと思っているのか、私には解りません。

S君はそのあと電話の前で泣いたそうです。

他人の心を他人の心の痛みを解ることができない、思いやることができない子どもたちがいやになるほど多く問題になっています。それは小さいときから子どもたちは自分の心を思いやってもらっていないのも一因のような気がします。

きょうここに書いたようなことは本当に日常的にあることで気にもされないことなのでしょう。けれども子どもたちの心は割りと平気に無神経に気がつかない間につぶされて行きます。
子どもたちは私たちの宝のはずです。その心はもっと大切に扱われるべきだと思います。傷つきやすい心です。やさしい言葉で、やさしい声で、やさしい笑顔で、やさしい心で、子どもたちと接してほしいものです。

えひめ雑誌 ざっくばらん 1995年8月号より

子どもは大人の鏡

8/1/2000

 
子どもは大人の鏡です
・・私たちに楽しい生活を見せてね・・
昨年の10月の“うんどうかい”から始まった“ざっくばらん”も今月で1年になります。いつも感じていることを、そのまま書いてきましたが、今回が最終回にふさわしいことを書きたいなという気持ちもないこともないのですが気負ってみてもしかたないのでいつものように思いついたことを思いついたように書いていきたいと思います。

テレビでは甲子園の全国高等学校野球選手権大会で帝京高校が優勝したことをアナウンサーが興奮した声で伝えています。(1995年度)
高校生の野球をこんなに大袈裟にしてしっまていいのだろうかという思いが最近この季節になるたびします。高校生の純粋な学校スポーツの中のひとつであるはずの硬式野球を、大人たちが寄ってたっかて子どもたちから取り上げてしまい、大人たちそれぞれの思惑にあうように曲げてしまっているように見えます。

“勝つ”ことが1番大切な価値観であると、そのための厳しい毎日の練習を繰り返し、子どもたちにとっては感性をみがく大切な時期を、大人の言うことを「はいっ!はいっ!」と聞くだけの、時間を過ごさせてはなりません。高校野球は教育の一環だとよくいろんな人が言うのですが、私には野球を通うしてどんな人間になってほしいと思っておられるのか想像ができません。自分の意志でなく、どなたかの考えのように動く人間にしようとしているようにしか見えません。

そして自分を殺すことが1番大切な“勝つ”ことにつながると教えます。そしてそのための舞台は大きければ大きいほどいいと考えているようです。高校生のスポーツの全国大会に参加するために多額の寄付金が必要だというのもおかしなことだと思います。そしていつもこの大会が大人の賭けの対象になっていることをだれもが知っています。
そろそろ大人たちは高校野球から手をひいて子どもたちに返してあげましょう。野球は高校生活のほんの1部分なんだよと教えてあげましょう。
「指導者(監督)が子どもたちと同じ服装(ユニホーム)をしているというスポーツもあまり無いですよね。」

もちろん、地方大会の1回戦や2回戦で負けていくチームには高校生活を楽しみながら、多種多様な価値観を感じさせられるような素晴らしい指導者にめぐまれたチームもあるだろうとは想像できます。今日は別に高校野球のことを書こうと思って書き始めたわけではないのですが、なんとなく止まらなくなってしまいました。

話を元に戻したいのですが、最後にひとつ野球中継のテレビを見ていて気になったことは、試合後のインタビューでの監督の語彙の数が非常に少ないということです。どの監督も同じことを同じ言葉で話されます。全く同じ談話を何回聞いたことでしょう。高校生という人間形成の最後の時期に子どもたちとの付き合いをする大人なのですから、もう少し本人の感受性を感じさせる言葉を聞かせてほしいものです。

“いじめ”の報道がいつまでたってもあとを断ちません。その少し前までは“不登校”が大きく報じられていましたが、その前は校内暴力・家庭内暴力です。子どもたちの心がズーッと長い時間をかけて張り裂け続けています。子どもたちにストレスをため続けていく、今までの教育のやり方がっていたという結論はもうすでにでているのです。

子どもたちに関わっている大人、特に人間形成に1番大切な幼児期の教育に関わっている人々はこれまでの自分を悔い改めましょう。 自分の思いどうりに子どもたちを動かしてきたことを反省しましょう。そして子どもたちが自分の心をそだてることに手をかしてあげましょう。人生はこんなに楽しいんだよと自分の生活を通して教えてあげるのです。そのためには毎日の生活を楽しめる人である必要があります。友達とおしゃべりすることの楽しさ、思いやりあう楽しさ、仕事することの楽しさ、遊ぶことの楽しさ、食事することの楽しさ、そして悲しみ、喜び、怒りすべてを含めて人生を楽しめる人であってほしいと思います。

子どもたちは、私たちをいつもしっかり観察しています。子どもたちの生活は大人の生活の鏡です。楽しい生活を見せてあげてください。
若草幼稚園も、もうすぐ2学期が始まります。私も子どもたちと一緒に 毎日の生活を楽しみたいと思っています。楽しい生活のなかで幸せを感じあいながら子どもたちと付き合っていきたいと思っています。
子どもたちを取り巻く環境が少しずつよくなっていくのを思い浮かべながらおしまいにしたいと思います。

えひめ雑誌 ざっくばらん 1995年9月号より

参観日

7/1/2000

 
新しい子どもたちが入園してきて、もうすぐ3ヶ月が過ぎます。子どもたちは始めての環境の中で自分の居場所を見つけようと、気の合う友達を見つけたり、気の合わない友達を見つけたり、ケンカ相手を見つけたり、泣いたり笑ったりしながら、何となく自分はここにいても良いのかなと感じはじめて、少しずつ安定に向かう頃です。

また、保護者の方も幼稚園でどんなに過ごしているのか、心配されているだろうということで、毎年、この時期に保育参観日を実施します。

15年ほど前までは保育参観日は1日だけでした。参観日だけの特別な一日ではなく、当たり前の普段の一日を見て欲しくて先生達との話し合いが始まりました。

まず、始めに参観する保護者の数が問題になりました。園内で大人は子どもの倍近い空間を占めてしまいます。ということは子どもたちと同じ数の大人が園に来ると園内はいつもの3倍の状態になってしまうのです。

それはもう子どもたちが遊ぶとか遊ばないとかそういうこと以前の問題です。子どもたちは大人の間をすり抜けるように動き回らねばなりません。

そこでまず、一日の参観者数を限定することにしました。1クラス3名か4名にして全体でも20名程度にしました。必然的に保育参観日は2週間以上かけるようになりました。そうなるともう、特別な一日は存在しません。

ありのままの姿を見てもらうしかありません。

時間は保護者の方に決めてもらうことにしました.一日中いたかったら弁当を持ってきて下さい。午前中で帰る人は要りません。ということです。

保護者の方もただ立って子どもたちの遊びを見ているだけということはなくなり、一緒に遊んでくれるようになりました。子どもたちもお父さんお母さんが一緒なので、少し興奮気味にはなりますが、暖かい時間が持てているようです。

参観日は一学期のこの一回だけです。二学期も三学期もありません。それは若草幼稚園はいつでも見に来て欲しいと考えているからです。毎日が参観日です。そのことは少しずつ定着していき今はいつも誰かのお母さんが園内に座っていたり立っていたり遊んでいたりします。

良い感じです。

制服 (松山雑誌ざっくばらん)掲載) [2000年6月号]

6/1/2000

 
制服
松山の人達は制服が大好きのようです。
幼稚園の大部分が子どもたちに制服を着せて通園させていますし、小学校もいちおう標準服と言っているようですが、ほとんどが同じ服装で通学しているようです。それでも、少しずつですが私服で園生活や学校生活をしはじめた幼稚園や学校も出はじめています。

それと反対に、ブランド物や有名なデザイナーの名前を前面におしだして幼稚園をアピールするところもあるようです。それを園の売りものにして園児を集めようとしているのだろうと思います。子どもたちを、かわいいかわいい着せ替え人形にしたい親御さんはそんな園を好んで通園させるのでしょう。

そんな服を着せなくても子どもたちは充分にかわいいし魅力的だと思いますけどね
そして、そんな所ほどわりと簡単に、個性を大切にしましょうといいます。個性を大切にするということは、そんな簡単なことではないような気がします。全員が同じ姿で2年も3年も、もしかしたら10年も15年も生活しながら、個性を発揮しなさいというのは間違いです。制服と個性は反対の側にあることでしょう。

若草幼稚園では5年程前(ざっくばらん掲載時から)に制服がなくなりました。昨年10月のこの欄で書いた運動会が変わっていったのと同じころです。それまでは、グリーンのセーターで腕にスクールカラーの若草色のラインが、胸にはわたしのデザインの園のマークが入ったかっこいい制服だったんですよ。それも2、3年前に変えたばかりだったんです。近所の洋服屋さんに無理をいって作ってもらったばかりだったんです。その前は、ほとんどの幼稚園がそうであるような、紺のスーツでした。

わたし自身の好みでは制服は好きではありませんでしたが、そのころは制服のない幼稚園をほとんど見ることはできませんでした。制服を着て幼稚園にくるのが当たり前だと思っていたし、私服の通園などは想像もできませんでした。今の制服のある幼稚園はほとんどがそう感じていることでしょう。
そのころ、制服のない幼稚園を見学する機会をもつことができました。大きなショックを受けました。子どもたちの表情が違うのです。若草幼稚園の子どもたちと顔が違うのです。

制服がなくなる前も私たちは若草幼稚園の子どもたちは子どもたちらしい“いい顔”をしていると信じていました。のびのびと明るく園生活をしていると思っていました。それは間違っていたようです。本当の子どもの顔を、心が開放されたときの子どもの顔を私は見たことがなかったのだなぁと心の底から思いました。

それでわたしは制服をなくすぞと心に決めました。それは年度の途中でしたが、新学期まで待てませんでした。そして、わたしにはそのころの若草幼稚園の保護者の方は制服が好きなんだということが解っていましたし、制服をやめることが、激しいブーイングを招くと解っていました。
どうすればいいのか悩みの日々があり、ある日保護者に手紙を書きました。「制服が汚れたり、気分的に着てきたくないときは着てこなくていいですよ」。
この手紙の効果は絶大なものがありました。
最初は女の子がかわいい服装で登園しはじめました。1ヶ月もしないうちに8割位の子どもたちが私服になってしまったのです。
子どもたちは制服が嫌いだったんだなというのを実感したことでした。

制服のプレッシャーはわたしたちの想像をはるかに越えるものがあるようです。

今、若草幼稚園の子どもたちは非常にレベルの高い“どろだんご”を造ります。園庭の土と水でおだんごを造るのです。最初は“さら砂”造りから始まります。完成の検査は、そのだんごを頬っぺたにこすりつけて、ざらっという感じがなくならないといけないのです。本当にカチカチのピカピカのテカテカの見事な“どろだんご”を造ります。ところが制服のあるころは、あまりだんごを造る様子は見れませんでした。造ってもインスタントな安易な、袋に入れるとすぐ壊れるような物だったのです。どうも子どもたちは制服は汚してはいけないんだと思っていたようです。どろだんごを造ると顔まで真っ白になるくらい土まみれになるのです。

制服には、もっともっと大きな問題があるのです。
わたしたちは人が生きて行くうえで自由や平等とおなじくらい大切なことに“違いを認め合う”ということがあると思っています。地球には男、女、色の黒い人、白い人、黄色い人、障害のある人、ない人、太った人、痩せた人、おしゃべりな人、無口な人、実に様々な人達が一緒に暮らしています。すべての人々はお互いの違いを認め合って生活していかなければなりません。

よく考えて見てください。子どもたちは幼稚園・小学校・中学校・高等学校と十数年間を同じ服装で過ごし、同じがいいことで、違うのはよくないことだと教えられるのです。

これではお互いの違いを認め合うことなどできる訳がありません。最近また、陰湿な“いじめ”がクローズアップされています。
そのいじめの対象にされているのが、自分たちと違う相手のように思います。自分より勉強ができるとか、できないとか、自分よりおとなしいとか、行動的とか、違うことがきになってしかたがないように見えますね。そういう意味で、いじめの原因の一部分に制服があるように思います。

それでなくても、服装は個人の問題で、自分で決めるのは個人の権利でしょう。丸刈りを強制できないのと同じことなのです。

一日もはやく子どもたちの制服がなくなり、日本中の子どもたちが解放された心からの明るい笑顔で毎日の生活ができればといつも思っています。

絵本の読み聞かせ

1/1/2000

 
若草幼稚園では“遊ぶ”ということと同じくらいに、“絵本”を大切に思っています。
毎日、帰る前の集会で必ず絵本の読み聞かせをしていますし、休日の前日には子どもたちに貸し出しをして、家でもお父さんお母さんに呼んでいただいています。

幼稚園の時期の子どもたちにとっての絵本は読んでもらうべきものなのです。確かに、子どもたちは年長組になると文字に興味を持つし、文字を身につける子どもたちも大勢でてきます。自分で読めるようになるのです。
そうなると、先を急ぐ大人たちは、読み聞かせをするのがよくないことのように考え、自分で読ませようとします。子どもたちは自分のつたない知識を精一杯使って絵本を読もうとします。そしてそれが残念なことですが、本嫌いな子どもになっていく始まりなのです。

文字を覚えたての子どもたちが自分で絵本を読むと、文字だけを必死においかけます。文字を文章として捕らえるのではなく文字の一字一字としてしか読めないのです。
そのとき、その本の素晴らしい言葉や絵や物語は、子どもの感性の何も刺激しませんし、そのことは子どもたちにとって楽しい体験であるわけはありません。絵本のその絵と言葉は子どもたちの想像力と一緒になることで子どもたちの心の中に楽しい世界をつくりだすのです。その世界なしには絵本の意味はないように思います。

ところが、絵本を子どもたちに知識を与える道具として考えたり、しつけに役立てようとする大人達が大勢いるのです。そんな大人達は絵本を読んでいる途中でいろんな質問をしたがります。「豚は何匹いるかな?」「この花は何色ですか?」「だから外では帽子をかぶるんですよ!」そんな質問をされるたびに子どもたちの心の中の楽しい世界は、消えてしまうのです。気持ちを取り直して絵本の続きに没頭しようとしても、もう絵本のなかに入り込めないのです。

そんな質問をした時に、もう大人は子どもたちから絵本の世界を取り上げてしまっているのです。そのときから、その子どもは本嫌いの道を歩き始めるのです。それは、間違いなく大人の責任なのです。そして、絵本には素晴らしい言葉で実にさまざまな人生が語られています。
本当はわたしたち大人が(特に親が)子どもたちに人生を語って聞かせるのが役目でしょう。
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    流水 龍也

    若草幼稚園 理事長
    (前園長)

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