卒園式
・・あいさつも皆勤賞もいらない・・
今日はポカポカといい天気なので、園庭で子どもたちが遊んでいる様子を眺めながらかいています。
あと1週間で年長組みの子どもたちとはお別れをしなければなりません。(この文章が本誌に載るのは4月ですが、今はまだ3月です)。私にとっては寂しく、元気の出にくい時期なのです。
そして、毎年いまごろになると、それぞれの子どもが入園したころのことが思い出されます。
毎日、お母さんと離れるのがつらかったAちゃん。園を抜け出して家まで帰っていったBちゃん。園に慣れて泣くのをやめたとたんに、泣いている友達の世話を始めたCちゃん。大きなストレスを溜めたまま入園してきたDちゃん。
それぞれがおおきく成長し、ひとりひとりが期待感や不安感を胸に、小学校への入学を待っています。
自由に遊んでいた子どもたちも小学校の管理教育の中にいやおうなく巻き込まれていくのです。
管理の生活のなかに子どもたちが対応できていくのかどうか、というのが本園に入園してくる保護者の方々が皆さん一番心配されることのようです。
子供たちの意志をそのまま受け止めながら、子どもたちが作っていく幼稚園をめざして始めたころには、私にも同じような心配が確かにありました 。しかし、管理に慣れるのに時間がかかったとしても、そして、そのあと管理に慣れていったとしても、(本当は慣れてほしくはないのですが)3歳・4歳・5歳の人間の人生の中で一番大切な時期を、自分の意志をしっかり感じながら生活していくことはその人の原体験として体の真ん中に残っていくのです。それを信じて保育を進めてきました。
ところが子どもたちは私が思っているほど“ヤワ”ではなかったのです。自分で決める生活を何年か続けてきた子どもたちは、別の環境への適応も納得さえすれば自分の意志でできるようになるのです。それを感じたことが私の仕事に大きな自信となっています。
昨年から卒園式のやり方が大きく変わりました。それまでも、壇上は使わず保護者と子どもたちは対面のかたちで実施していましたし、子どもたちは好きな歌をいっぱい歌っていました。子どもたちのためだけの式にしたいという思いは職員全員にありましたので、来賓は呼んだことがありません。出席者は子どもたちと保護者と保育者と園長だけです。子どもたちのお祝いを心からできる人々で送りたいと思っていました。
それでも園長と保護者の代表のあいさつはあったし、皆勤賞や精勤賞の表彰があったのです。最初にこの二つをなくそうと思いました。皆勤賞があるということだけで子どもたちにプレッシャーを与えることになるからです。皆勤賞というのは休むのは良くないことだと言っていることですよね。休まない子を褒めるというのはそういうことでしょう。人間は休みながら生活していくものだと思います。子どもを褒めるのは大変難しいことで、叱るのと褒めるのは同じことのように思えます。
式の前日に、みんなで協力して菜の花を山ほど集めました。式場を菜の花畑にしようと思ったのです。菜の花の間を通って子どもたちが修了証書を取りにくるのはいいなと思ったのです。予想どうりの結果でした。
幼稚園のホールには菜の花の匂いが一杯にひろがり、おしゃれをした子どもたちは誇らしげに花の間を歩きました。
園長もあいさつをやめました。そのかわりギターをひいて子どもたちと歌を歌いました。子どもたちは感謝の気持ちをこめてお父さんとお母さんにチューリップを送りました。シャボン玉を飛ばしました。主役は絶対子どもたちでした。
今年も昨年みたいな雰囲気の卒園式になればいいなと考えいます。
最後に、日本保育学会の初代会長で、「自由遊び」などを訴えて幼児教育界に大きな影響を与えた故・倉橋惣三先生の文章を紹介したいとおもいます。
『子どもたちを送る日』
何たる縁か。こうして親しく、あなたの為には大切ないくとせを、日々一緒に楽しみ得たことか。
「教育」そんなことよりも、あなたを迎える朝な朝なが私の楽しみでした。「あなたのため」そんなことよりも、あなたと一緒に遊ぶことが私の喜びでした。
ただね、今になって考えてみると、随分行き届かないことが多かったと、それがすまないのですよ。けれどね、御免なさいなんてそんなことは決して言いませんよ。私の足りないことを、あなたは何とも思ったりしていないと、それが私にはしっかりとわかっているから………もし、そうでなかったら、にこにことあなたの修了を、お送り出来るものですか。
「いい先生」。そんなこと、どうでもいいんです。あなたの好きな先生だったのですものね。本当にそうだったんですね。
倉 橋 惣 三「育ての心より」
四月、また新しい出会いがあります。
どの子も楽しい人生でありますように 合掌
えひめ雑誌 1995年4月号より
・・あいさつも皆勤賞もいらない・・
今日はポカポカといい天気なので、園庭で子どもたちが遊んでいる様子を眺めながらかいています。
あと1週間で年長組みの子どもたちとはお別れをしなければなりません。(この文章が本誌に載るのは4月ですが、今はまだ3月です)。私にとっては寂しく、元気の出にくい時期なのです。
そして、毎年いまごろになると、それぞれの子どもが入園したころのことが思い出されます。
毎日、お母さんと離れるのがつらかったAちゃん。園を抜け出して家まで帰っていったBちゃん。園に慣れて泣くのをやめたとたんに、泣いている友達の世話を始めたCちゃん。大きなストレスを溜めたまま入園してきたDちゃん。
それぞれがおおきく成長し、ひとりひとりが期待感や不安感を胸に、小学校への入学を待っています。
自由に遊んでいた子どもたちも小学校の管理教育の中にいやおうなく巻き込まれていくのです。
管理の生活のなかに子どもたちが対応できていくのかどうか、というのが本園に入園してくる保護者の方々が皆さん一番心配されることのようです。
子供たちの意志をそのまま受け止めながら、子どもたちが作っていく幼稚園をめざして始めたころには、私にも同じような心配が確かにありました 。しかし、管理に慣れるのに時間がかかったとしても、そして、そのあと管理に慣れていったとしても、(本当は慣れてほしくはないのですが)3歳・4歳・5歳の人間の人生の中で一番大切な時期を、自分の意志をしっかり感じながら生活していくことはその人の原体験として体の真ん中に残っていくのです。それを信じて保育を進めてきました。
ところが子どもたちは私が思っているほど“ヤワ”ではなかったのです。自分で決める生活を何年か続けてきた子どもたちは、別の環境への適応も納得さえすれば自分の意志でできるようになるのです。それを感じたことが私の仕事に大きな自信となっています。
昨年から卒園式のやり方が大きく変わりました。それまでも、壇上は使わず保護者と子どもたちは対面のかたちで実施していましたし、子どもたちは好きな歌をいっぱい歌っていました。子どもたちのためだけの式にしたいという思いは職員全員にありましたので、来賓は呼んだことがありません。出席者は子どもたちと保護者と保育者と園長だけです。子どもたちのお祝いを心からできる人々で送りたいと思っていました。
それでも園長と保護者の代表のあいさつはあったし、皆勤賞や精勤賞の表彰があったのです。最初にこの二つをなくそうと思いました。皆勤賞があるということだけで子どもたちにプレッシャーを与えることになるからです。皆勤賞というのは休むのは良くないことだと言っていることですよね。休まない子を褒めるというのはそういうことでしょう。人間は休みながら生活していくものだと思います。子どもを褒めるのは大変難しいことで、叱るのと褒めるのは同じことのように思えます。
式の前日に、みんなで協力して菜の花を山ほど集めました。式場を菜の花畑にしようと思ったのです。菜の花の間を通って子どもたちが修了証書を取りにくるのはいいなと思ったのです。予想どうりの結果でした。
幼稚園のホールには菜の花の匂いが一杯にひろがり、おしゃれをした子どもたちは誇らしげに花の間を歩きました。
園長もあいさつをやめました。そのかわりギターをひいて子どもたちと歌を歌いました。子どもたちは感謝の気持ちをこめてお父さんとお母さんにチューリップを送りました。シャボン玉を飛ばしました。主役は絶対子どもたちでした。
今年も昨年みたいな雰囲気の卒園式になればいいなと考えいます。
最後に、日本保育学会の初代会長で、「自由遊び」などを訴えて幼児教育界に大きな影響を与えた故・倉橋惣三先生の文章を紹介したいとおもいます。
『子どもたちを送る日』
何たる縁か。こうして親しく、あなたの為には大切ないくとせを、日々一緒に楽しみ得たことか。
「教育」そんなことよりも、あなたを迎える朝な朝なが私の楽しみでした。「あなたのため」そんなことよりも、あなたと一緒に遊ぶことが私の喜びでした。
ただね、今になって考えてみると、随分行き届かないことが多かったと、それがすまないのですよ。けれどね、御免なさいなんてそんなことは決して言いませんよ。私の足りないことを、あなたは何とも思ったりしていないと、それが私にはしっかりとわかっているから………もし、そうでなかったら、にこにことあなたの修了を、お送り出来るものですか。
「いい先生」。そんなこと、どうでもいいんです。あなたの好きな先生だったのですものね。本当にそうだったんですね。
倉 橋 惣 三「育ての心より」
四月、また新しい出会いがあります。
どの子も楽しい人生でありますように 合掌
えひめ雑誌 1995年4月号より