地球環境
先日、「地球村運動」の日本代表である高木善之さんのお話を久しぶりに聞く機会がありました。わたしは地球村の会員です。高木さんの講演を聞くのは4回目なのですが今回は初めて地球温暖化のお話でした。恐ろしい地球の現実を淡々とお話ししていただきました。
地球が危ないと言われだして結構長い時間が過ぎています。私たちはそのことを百年も二百年も先の話のような感覚でとらえていませんでしたか。どうもそんな先の話ではないようですよ。ほんとに目の前の話のようです。
地球は生きているということ、生命なんだということを感じることのできる大人が、あまりにもすくなくなってしまっているようにおもいます。
けれども、よく考えてみると危ないのは地球ではなくて人間なんです。人間は地球にあわせて生まれてきたわけで、地球が変化するともう生きていけない存在でしょう。それでも地球は、人間が滅びて何十年かたつと、すっかりもとの美しい地球に戻るのです。
地球を守ろうとか、地球に優しくとかいう言い方は人間の思い上がりではないでしょうか。
地球は何にも困らないのです。困るのは人間なんです。それもそれは私たち大人でなくて、今私たちが付き合っている子どもたちであり、これから生まれてくる子どもたちなのです。
地球環境の問題は子どもたちの問題です。
子どもたちの未来そのものです。
子どもたちは、大いなる自然に囲まれて、のびのびと育っていく権利があるし、大人はそれを保証しなければなりません。太陽は子どもたちが生きていくための、基盤であり象徴でしょう。その太陽が信用できなくなりつつあるという、大変悲しい状態が現実になってきています。
本当は、もうすでにオゾンホールの影響で「子どもたち、外で遊んでおいで」と軽々とは言えない状態になっています。
そういえば、子どもたちは、この十年ほど、コンピューターゲームを筆頭に家の中で過ごす遊びが好きになっているように思いませんか。(外で遊ぶのはサッカーとか野球とか、大人の後について遊ぶことのほうが多いように思います)それも一人だけで遊ぶのではなくて、ゲームソフトを抱えて、友達の家を行き交うという状態が多くみられます。やはり、子供たちは友達が好きだし、仲良しが好きなようです。
コンピューターゲームがこんなにも爆発的ににそれも長い間、子どもたちに支持されているのは、彼らは地球の環境が、ということは外が、あまり良くないという現実を、言葉や情報でない感覚のところで知っているのではないでしょうか。寂しい想像ですが、そんなに的外れではないような気がします。子供たちは大人がとっくに失ってしまったそんな不思議な力を持っているように思います。私たち大人は力を合わせて元の地球に戻す努力をしていくべきでしょう。地球を汚してしまったのは、私たち大人なんです。おとなが、経済を、お金もうけを最優先に考えて、目先の利益を追い求めた結果なのです。
お金を持ったものが勝ちだという、強いものが勝ちだという、間違った価値観を変えていきましょう。買ったとか負けたとか、一位とか二位とかブービーとか、そういうことはみんな同じ事なんだということ、自分が持って生まれて来た得意な能力を出し合うということ、弱いものは強いものが助けるということ、そんな当たり前のことを思い出しましょう。
地球の歴史の中で考えると、人類の歴史はほんの一瞬にすぎないのです。その人間が地球を汚してしまうのは、許されることではないと思います。
まだ間に合います。本当に地球が荒れ果ててしまったら、子どもたちはどうやって生きていけばいいのでしょう。子どもたちに本当に必要なものは、豊かな地球です。豊かな地球を残すためには、私たち大人の考え方・生活観・価値観の大転換が必要なのです。ライフスタイルを変えていかなければなりません。豊かな生活を追いかけていてはきりがありません。
そして、自然の命を感じることができる子どもたちを育てましょう。そよ風の心地よさを感じ、太陽の暖かさを感じ、水の流れる音や、葉っぱのこすれる音が聞こえ、土が好きで、動物とともに生きていくことができ、海が好きで、山が好きで、友達が好きで、仲良しが好きで、お互いの違いを認め合い、それから、そんな自分の気持ちをしっかりと人に伝えることができる。自由な生活をしていく中で、自由の意味と、その大切さを知っている。そんな子どもです。
本来、子どもたちは、そういう能力を持って生まれてきていると思います。
そして、そんな素晴らしい感性を持った子どもたちが、私たちの地球を守ってくれるのかもしれません。
松山雑誌 ざっくばらん より
先日、「地球村運動」の日本代表である高木善之さんのお話を久しぶりに聞く機会がありました。わたしは地球村の会員です。高木さんの講演を聞くのは4回目なのですが今回は初めて地球温暖化のお話でした。恐ろしい地球の現実を淡々とお話ししていただきました。
地球が危ないと言われだして結構長い時間が過ぎています。私たちはそのことを百年も二百年も先の話のような感覚でとらえていませんでしたか。どうもそんな先の話ではないようですよ。ほんとに目の前の話のようです。
地球は生きているということ、生命なんだということを感じることのできる大人が、あまりにもすくなくなってしまっているようにおもいます。
けれども、よく考えてみると危ないのは地球ではなくて人間なんです。人間は地球にあわせて生まれてきたわけで、地球が変化するともう生きていけない存在でしょう。それでも地球は、人間が滅びて何十年かたつと、すっかりもとの美しい地球に戻るのです。
地球を守ろうとか、地球に優しくとかいう言い方は人間の思い上がりではないでしょうか。
地球は何にも困らないのです。困るのは人間なんです。それもそれは私たち大人でなくて、今私たちが付き合っている子どもたちであり、これから生まれてくる子どもたちなのです。
地球環境の問題は子どもたちの問題です。
子どもたちの未来そのものです。
子どもたちは、大いなる自然に囲まれて、のびのびと育っていく権利があるし、大人はそれを保証しなければなりません。太陽は子どもたちが生きていくための、基盤であり象徴でしょう。その太陽が信用できなくなりつつあるという、大変悲しい状態が現実になってきています。
本当は、もうすでにオゾンホールの影響で「子どもたち、外で遊んでおいで」と軽々とは言えない状態になっています。
そういえば、子どもたちは、この十年ほど、コンピューターゲームを筆頭に家の中で過ごす遊びが好きになっているように思いませんか。(外で遊ぶのはサッカーとか野球とか、大人の後について遊ぶことのほうが多いように思います)それも一人だけで遊ぶのではなくて、ゲームソフトを抱えて、友達の家を行き交うという状態が多くみられます。やはり、子供たちは友達が好きだし、仲良しが好きなようです。
コンピューターゲームがこんなにも爆発的ににそれも長い間、子どもたちに支持されているのは、彼らは地球の環境が、ということは外が、あまり良くないという現実を、言葉や情報でない感覚のところで知っているのではないでしょうか。寂しい想像ですが、そんなに的外れではないような気がします。子供たちは大人がとっくに失ってしまったそんな不思議な力を持っているように思います。私たち大人は力を合わせて元の地球に戻す努力をしていくべきでしょう。地球を汚してしまったのは、私たち大人なんです。おとなが、経済を、お金もうけを最優先に考えて、目先の利益を追い求めた結果なのです。
お金を持ったものが勝ちだという、強いものが勝ちだという、間違った価値観を変えていきましょう。買ったとか負けたとか、一位とか二位とかブービーとか、そういうことはみんな同じ事なんだということ、自分が持って生まれて来た得意な能力を出し合うということ、弱いものは強いものが助けるということ、そんな当たり前のことを思い出しましょう。
地球の歴史の中で考えると、人類の歴史はほんの一瞬にすぎないのです。その人間が地球を汚してしまうのは、許されることではないと思います。
まだ間に合います。本当に地球が荒れ果ててしまったら、子どもたちはどうやって生きていけばいいのでしょう。子どもたちに本当に必要なものは、豊かな地球です。豊かな地球を残すためには、私たち大人の考え方・生活観・価値観の大転換が必要なのです。ライフスタイルを変えていかなければなりません。豊かな生活を追いかけていてはきりがありません。
そして、自然の命を感じることができる子どもたちを育てましょう。そよ風の心地よさを感じ、太陽の暖かさを感じ、水の流れる音や、葉っぱのこすれる音が聞こえ、土が好きで、動物とともに生きていくことができ、海が好きで、山が好きで、友達が好きで、仲良しが好きで、お互いの違いを認め合い、それから、そんな自分の気持ちをしっかりと人に伝えることができる。自由な生活をしていく中で、自由の意味と、その大切さを知っている。そんな子どもです。
本来、子どもたちは、そういう能力を持って生まれてきていると思います。
そして、そんな素晴らしい感性を持った子どもたちが、私たちの地球を守ってくれるのかもしれません。
松山雑誌 ざっくばらん より