今日は天気もいいし、西山公園まで遊びに行こうということになりました。西山公園は城山の向かいにある小高い山で、山の上には何やら西洋のお城のようなものが建っています。以前は自然のままの山だったので、時々虫を捕りに行っていた場所なのです。けれども、開発され木々は切り払われて、そこに新しい木が植えられています。全く違う場所になってしまいました。
それでも頂上にはいい風が吹いているし、芝生に寝転ぶと気持ちがいいのでたまに遊びに行くのです。
駐車場にバスを入れ、登り始めると、すぐ隣に幼稚園バスが止まりました。園長先生とは親しくしていただいているA幼稚園でした。子どもたちは揃いの体操服のユニホームでバスから降りてきます。服装が同じだと表情も同じように見えてきます。若草幼稚園では園のユニホームがなくなり、私服で園の生活をしだして、15年近くになるので、わたしは同じ服装をした子どもたちの集団をみるとドキッとしてしまうのです。子どもたちも、そのことが当たり前のように慣れてしまうことがこわいのです。
バスから降りるとすぐ整列が始まりました。わたしはしばらく見ていたのですがあんまりそれが長い時間なので先に登ることにしました。10分以上たってA幼稚園の子どもたちは上がってきました。すると今度は全員が体操ずわりで保育者の諸注意が始まったのです。子どもたちはいつになったら遊べるんだろうとひとごとながら心配になったことでした。
そういえば、昨年の冬にも同じような姿を見たことがあります。スケートに行ったときのことです。私たちはスケートというより氷遊びといった感覚でいましたので、子どもたちは滑ったり、転んだり氷を触ったり、こっそり氷を割ったりしています。キャーキャーと笑い声がたえません。
そこへまたそろいのユニホーム姿のB幼稚園がやってきました。突然、子どもたちは壁際のてすりに一列にならび、「いっちにい、いっちにい。」号令が始まりました。彼らは号令に合わせてスケート靴の足を前後させているのです。20分も続いたでしょうか。今度は次の段階の整列がかかり号令が始まったのです。それが帰るまで続きました。若草幼稚園の子どもたちはそれが何をしているのか理解ができなかったようです。「おまえら、何をしよるんぞ。」と代表の誰かが聞きにいっていました。帰るときには「まだ、すべれんのか。」と捨てぜりふを残してスケート場をあとにしたことでした。若草幼稚園の子どもたちは何時間か氷と戯れているうちにほとんどの子どもがスイースイーと滑れるようになっていたのです。
B幼稚園の子どもたちは、スケートが楽しいと感じて帰ったのかなあといらぬ心配をしてしまうことでした。
これは極端な場面なんだとしても、これに近いことは、いたるところでみられます。子どもたちの意思を無視した形での対応なのです。
子どもたちはそれでも明るい顔をして毎日の生活をしています。
自分のおかれた環境に順応して行く能力を持っているし、そしてその環境にあわせていくしかないということを本人は意識していないでしょうが、理解できているように思います。
わたしたち大人と子どもたちの間には体力的にも知識的にも人生の経験においても、大きな差があるのです。それはどちらが良いとか良くないとか、いうことではないのですが、歴然とした差があるのです。そのことをわたしたち大人がいつも意識していないと、どうしても威圧的になってしまい、そのことで子どもたちは自分の意思を引っ込めてしまう結果になってしまうのです。そのことに気がついていない大人が何と多いことでしょう。特に幼稚園・保育園などの幼児教育に関わっている人たち、それを職業にしている人たちは大いに反省をお願いします。
子どもたちは自分の意思で生活する権利を持っています。そして大人はそれそしっかり守っていく義務があるのです。子どもたちにとって住みやすい環境を作ってあげたいものです。
それでも頂上にはいい風が吹いているし、芝生に寝転ぶと気持ちがいいのでたまに遊びに行くのです。
駐車場にバスを入れ、登り始めると、すぐ隣に幼稚園バスが止まりました。園長先生とは親しくしていただいているA幼稚園でした。子どもたちは揃いの体操服のユニホームでバスから降りてきます。服装が同じだと表情も同じように見えてきます。若草幼稚園では園のユニホームがなくなり、私服で園の生活をしだして、15年近くになるので、わたしは同じ服装をした子どもたちの集団をみるとドキッとしてしまうのです。子どもたちも、そのことが当たり前のように慣れてしまうことがこわいのです。
バスから降りるとすぐ整列が始まりました。わたしはしばらく見ていたのですがあんまりそれが長い時間なので先に登ることにしました。10分以上たってA幼稚園の子どもたちは上がってきました。すると今度は全員が体操ずわりで保育者の諸注意が始まったのです。子どもたちはいつになったら遊べるんだろうとひとごとながら心配になったことでした。
そういえば、昨年の冬にも同じような姿を見たことがあります。スケートに行ったときのことです。私たちはスケートというより氷遊びといった感覚でいましたので、子どもたちは滑ったり、転んだり氷を触ったり、こっそり氷を割ったりしています。キャーキャーと笑い声がたえません。
そこへまたそろいのユニホーム姿のB幼稚園がやってきました。突然、子どもたちは壁際のてすりに一列にならび、「いっちにい、いっちにい。」号令が始まりました。彼らは号令に合わせてスケート靴の足を前後させているのです。20分も続いたでしょうか。今度は次の段階の整列がかかり号令が始まったのです。それが帰るまで続きました。若草幼稚園の子どもたちはそれが何をしているのか理解ができなかったようです。「おまえら、何をしよるんぞ。」と代表の誰かが聞きにいっていました。帰るときには「まだ、すべれんのか。」と捨てぜりふを残してスケート場をあとにしたことでした。若草幼稚園の子どもたちは何時間か氷と戯れているうちにほとんどの子どもがスイースイーと滑れるようになっていたのです。
B幼稚園の子どもたちは、スケートが楽しいと感じて帰ったのかなあといらぬ心配をしてしまうことでした。
これは極端な場面なんだとしても、これに近いことは、いたるところでみられます。子どもたちの意思を無視した形での対応なのです。
子どもたちはそれでも明るい顔をして毎日の生活をしています。
自分のおかれた環境に順応して行く能力を持っているし、そしてその環境にあわせていくしかないということを本人は意識していないでしょうが、理解できているように思います。
わたしたち大人と子どもたちの間には体力的にも知識的にも人生の経験においても、大きな差があるのです。それはどちらが良いとか良くないとか、いうことではないのですが、歴然とした差があるのです。そのことをわたしたち大人がいつも意識していないと、どうしても威圧的になってしまい、そのことで子どもたちは自分の意思を引っ込めてしまう結果になってしまうのです。そのことに気がついていない大人が何と多いことでしょう。特に幼稚園・保育園などの幼児教育に関わっている人たち、それを職業にしている人たちは大いに反省をお願いします。
子どもたちは自分の意思で生活する権利を持っています。そして大人はそれそしっかり守っていく義務があるのです。子どもたちにとって住みやすい環境を作ってあげたいものです。