若草幼稚園
若草幼稚園は、子どもたちのための幼稚園でありたいと考えています。
園庭はいつでも開放していますので、天気のいい日を選んでお越しください。
〒790-0814
愛媛県松山市味酒町3丁目5-1
学校法人 若草学園 認定こども園 若草幼稚園
TEL 089-993-8182 FAX 089-993-8183
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「安穏」

6/3/2017

 
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若草幼稚園では「安穏」(安心して、穏やかに)を一番大切な価値観として保育にあたっています。
日本の子どもたちはいつも、必要以上に興奮状態にあるように感じています。
元気な子どもがいい、元気な声がいい、大きな声で挨拶しましょう、子どもは風の子など、子どものテンションを上げようとする場面が多くみられます。子どももそうでないといけないと思ってしまい、元気な子どももも、テンションの高い子どもを演じているように見えます。大人も子どもは大きな声で話すもので、穏やかにそこにいることはできないと思っているようです。
子どもは安心できると穏やかになります。ところが、ここ何十年かの子どもたちを取り巻く環境は、子どもたちに緊張を強いて安心できる状況ではないように感じます。
子どもが安心できるのは、自分が自分のままで、あるがままにその場所にいられるかどうかです。園が子どもを自分のままでいられる場所かどうかを考える必要があると思います。
子どもはいつも周りにいる大人の顔色を見ながら生きています。まず、そのことをしっかりわかってあげないといけません。子どもは小さいのです。子どもの身長は大人の半分くらいいかありません。ということは、もし大人が子どもなら、大人は3m近い大巨人です。それは怖いです。そのことを理解して、子どもに、顔色を見なくても大丈夫だよということをどう伝えていくかということです。

本園は自分のすることは自分が決めることを大切にしている幼稚園です。子どもたちは毎日ほとんどの時間を自分のしたい遊びを見つけて過ごしています。弁当の時間と、帰る前の30分が集会の時間です。その時間に、絵本を読んで、歌を歌って、担任の話を聞いたりして過ごします。そんな生活の中で、自分で決める時間が大切な時間と考えています。この後の長い人生を生きていくうえで大事な資質になると思います。そのことは大人が決める生活の中では育ちません。自分で決める経験を積み重ねていくしかないのです。けれども、子どもたちは判断をたびたび間違えます。それはまだ経験が少ないのですから仕方のないことです
。間違いながら間違ったことを理解して、正しい判断を身につけていきます。その時に「いいよ、いいよ」「大丈夫だよ」「それでいいよ」と行ってあげれるかどうかです。ところが大人はそんな時にも”がんばれ・がんばれ”といいます。がんばれという言葉が大好きなようです。

自己肯定という言葉があります。人が幸せに生きていくためには絶対必要な価値観です。がんばれという言葉は自己肯定とは全く逆の言葉です。「今のままではだめですよ」「もっと上に行きなさい」という言葉です。幼児期にがんばれの言葉はいりません。子どもたちは「今のままではいけない」「自分のままではいけない」と感じながら成長していきます。それでは安心感には繋がりません。がんばれとは言わないように心がけてください。
幼児期は人間の根っこを作る時期だとほとんどの人が言います。根っことは「価値観」「感性」そして「自己肯定」です。
”安穏”という言葉は幼児教育の中でもすごい言葉です。安心して穏やかにを、いつも思いながら保育を楽しみましょう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「安穏」  若草幼稚園 理事長 流水龍也

浄土真宗本願寺派 保育連盟発行
「まことの保育」2015年11月号より

風の学校

3/1/2002

 
数年前、大塚まさじさんが幼稚園でライブをしてくれました。私たちの年代にとっては、忘れられない歌手のひとりです。70年代前半に「ザ・デイランⅡ」というバンドで『俺のあん娘はタバコが好きで…』の『プカプカ』をヒットさせたあの大塚まさじさんが若草幼稚園の遊戯室で歌ってくれたのです。
大塚さんとの不思議な縁は、数年前、NHKの連続ドラマ「この指とまれ」に出演されているのを十何年ぶりにみて感激した2ヶ月ぐらい後に、突然、本人が若草幼稚園をたずねてくるという本当に信じられないような出会いで始まりました。その時にもうライブの約束はできていたのです。

はじめて会った時から、大塚さんの感性と私の感性とは近くにあるなと思ってはいたのですが、こんなに気持ちのいいライブになるとは思っていませんでした。
ゆっくりと時間が流れて行く中で暖かい本当に暖かいステージでした。あれは大塚さんそのものだったのでしょう。
2時間近くのライブだったのですが、どうしても1曲を紹介したいのです。「風の学校」といいます。CDのタイトルにもなっている歌です。

「風の学校」
風はいつもふいていた
海に山に川に
人はいつも生きていた
土に花に水に
優しかった昔を
取り戻そうと
忘れていた魂を
も一度探し見つけだそう
風はいつも吹いていた
海に山に川に

風は今日も吹いている
雲に波に草に
人は今日も生きている
街に村に地球に
あるがままの姿を
取り戻そうと
瞳とじて微笑めば
恵みの季節がまわってくる風は今日も吹いている
雲に波に草に

優しかった昔を
取り戻そうと
忘れていた魂を
も一度探し見つけだそう
風はいつも吹いていた
海に山に川に
風はいつも吹いていた
雲に波に草に

昔から風はいつも変わらずにゆっくりと吹き続けてきたのです。人は海や山や川や太陽に包まれて、ゆったりとした自然のリズムのなかで生活をしてきたのです。長ーい人類の歴史のなかでは、ほんの一瞬にすぎない近代の人たちがあっというまにリズムを速めてしまいました。どうしてこんなにいそがないといけないのかと思うほど社会のスピードは速くなっています。
それにつられて人の心も「急がないといけない」という脅迫観念に捕らわれてしまっているようです。そのことが子どもたちの余裕のなさにつながって、いじめなどの不安定な行動につながっているのかもしれません。それは子どもたちが本来持っているリズムと合わないからなんでしょう。

子どもたちのリズムを取り戻しましょう。
ゆっくりゆったり成長していけばいいんです。その環境をつくることが大変難しいことなのはよく分かっています。けれどもそのことが、子どもたちのストレスを少なくしていく近道なのです。

♪ 優しかった昔を
取り戻そうと
忘れていた魂を
も一度探し見つけだそう ♪

遊び

1/1/2002

 
子どもたちは生まれたときから遊びたいという欲求を持っています。おとながそれを押さえ付けたりしなければです。ところが最近自発的に遊べない子どもたちが増えているという話をあちこちでよく聞きますし私もそれを感じます。遊ぶことも幼児期からの経験が必要なのですから突然、さあ遊べと言われても子どもたちは困るのです。

遊ぶとは子どもたちの好奇心から始まる自発的で自然な行為なのです。自分に合ったやり方で未知のものへ慣れていく行為なのです。好奇心こそが子どもたちの行動の原動力なのですから、その好奇心を大切に守り続けなければなりません。

遊びには時間の保証と自由さが大切です。その次は空間つくりです。子どもたちの遊び場所の保証です。子どもたちが遊びやすい場所というのはどんな場所のことなのでしょう。

ほとんどの幼稚園には運動場と言われている広い場所があります。あのだだ広い場所での子どもたちの遊びは私にはイメージしにくいのです。子どもたちの遊びを考えた時、大勢というのは何人くらいの数をさす言葉なのでしょうか。5人から多くても10人だろうと思います。子どもたちの遊ぶ様子を長年みているとそのようです。だから、そのくらいの数の子どもが遊べる空間をいくつも作る必要があるのです。それは庭なのです。園庭なのです。樹がはえていて、小屋などがあって、要するに隅がいっぱい必要なのです。その隅で子どもたちは保育者から隠れたりしながら遊びを楽しむのです。

運動場が必要なのは年に1回の運動会のためだけのようです。

考え方としては部屋の中もそうで、全員が一緒に何かをする場所ではなくて、いろんなたくさんの種類の遊びができるということが大切なのです。

次は道具です。遊ぶためのおもちゃです。もちろん道具のいらない遊びもたくさんあるのですが、おもちゃがあるおかげで遊びが無限に広がっていきます。積み木に代表されるおもちゃですが、今、おもちゃ屋さんは数え切れないほどのおもちゃであふれています。安いものではありませんから上手に選んで子どもに与えなければなりません。
キャラクターものは避けたほうがいいでしょう。

まず、子どもがいつも触るものですから、膚触りがよくて適当な重さがあって子どもが持ったときに気持ちの良いものがいいでしょう。私は木で出来たものが好きです。そして自分では動かないものがいいと思います。電池やバネでおもちゃが動くと子どもはそれを眺めているだけということになります。出来るだけシンプルで子どもたちのイメージが広がっていくものがいいでしょう。しっかり選んで子どもに与えてください。

子どもたちは遊びながら生活を学習していきます。だからといって学習を目的として遊びを考えてはいけません。子どもたちはそれはしっかりみぬく能力を持っています。だからそれはどうしても押し付けになり、子どもたちにストレスを残すだけのものになってしまいます。
人生を楽しく生きていく力はしっかり遊ぶことで身に付くのです。

「サンタクロースの部屋」より

12/1/2001

 
―サンタクロースの部屋― 松岡 享子

12月にはいると、街はもうおきまりのクリスマスの風景。「ああ、またジングルベルの季節がきたか」と大人たちは思い、子どもたちの多くは、やはりサンタクロースのことを考える。やれケーキよ、プレゼントよと、商業主義のあおりたてる騒がしさの中で、それでも「サンタクロースは本当にいるのだろうか」と真剣に問い掛ける子どもが、今年もまた何人かいるに違いない。
☆
もう数年前のことになるが、アメリカのある児童文学評論誌に、次のような一文が掲載されていた。「子どもたちは、遅かれ早かれ、サンタクロースが本当はだれかを知る。知ってしまえば、そのこと事態は他愛のないこととして片付けられてしまうだろう。しかし、幼い日に、心からサンタクロースの存在を信じることは、その人の中に、信じるという能力を養う。わたしたちは、サンタクロースその人の重要さのためだけでなく、サンタクロースが、子どもの心に働き掛けて生み出すこの能力のゆえに、サンタクロースをもっと大事にしなければいけない。」というのが、その大要であった。この能力には、確かにキャパシテイ―という言葉が使われていた。キャパシテイーは、劇場の座席数を示すときなどに使われる言葉で、収容能力を意味する。

心の中に、ひとたびサンタクロースを住まわせた子は、心の中に、サンタクロースを収容する空間を作り上げている。サンタクロースその人は、いつかその子の心の外へ出て行ってしまうだろう。だが、サンタクロースが占めていた心の空間は、その子の中に残る。
この空間がある限り、人は成長に従って、サンタクロースに代わる新しい住人を、ここに迎え入れることができる。
☆
この空間、この収容能力、つまり目に見えないものを信じるという心の働きが、人間の精神生活のあらゆる面で、どんなに重要かはいうまでもない。のちに、いちばん崇高なものを宿すかもしれぬ心の場所が、実は幼い日にサンタクロースを住まわせることによってつくられるのだ。別に、サンタクロースには限らない。魔法使いでも、妖精でも、鬼でも、仙人でも、ものいう動物でも、空飛ぶくつでも、打ち出の小槌でも、岩戸をあけるおまじないでもよい。幼い心に、これらのふしぎの住める空間をたっぷりとってやりたい。

近ごろの子どもは、こざかしく、小さい時から科学的な知識をふりかざして、容易にふしぎを信じないと言われる。しかし、子どもは、本来ふしぎを信じたがっているのだと私は思う。図書館で空想物語に読みふけり、図書館員の語る昔話に聞きいる時の子どもたちのまじめな顔つきを見ていると、それが分かる。

トリック撮影のフィルムでは、空飛ぶ主人公のうしろに、見えないはずの針金をいち早く見つけて、もっと幼い弟や妹の夢を無常に破るその同じ子が、お話の時間には、月の精のつえのひと振りで、冬の森が瞬時に春へと代わるのを、息をつめて見守るのである。本当らしく見せかけることによってつくられる本当と、本当だと信じることによって生まれる本当を、子どもはそれなりに区別している。

むしろ、見えないものを信じることを恥じ、サンタクロースの話をするのは、子どもをだますことだというふうに考えるおとなが、子どもの心のふしぎの住むべき空間をつぶし、信じる能力を奪っているのではないだろうか。

幼稚園の役目

11/1/2001

 
若草幼稚園は“ユニーク”な幼稚園だといつもいろんな人に言われます。園長がちょっと変わっているから、変わった保育をしているようですね、という評価を頂いているようです。園長としてはそのことが本当は非常に心外なのです。若草幼稚園は基本的な幼稚園らしい幼稚園でありたいといつも思っています。

幼稚園はいろんなことを教えてもらうところだというイメージが広くあるように思います。大人が「ああこうなんですよ。こうなんですよ」と子どもたちに教え込むのを役目だと思い、子どもたちはそれを無批判に受け身に受け止めるのが当たり前のイメージになっているように感じます。

実はそれは間違いなのです。幼稚園というのはそんな場所ではありません。

幼稚園とは子どもたちが、“生活”をする場所なのです。仲のいい友だちと一緒に楽しく生活をする場所なのです。そして子どもたちにとって生活はほとんどが“あそび”なのです。

私たち幼稚園の役目は子どもたちが生活をする( 遊ぶ )ための環境を作っていくということなのです。保育者もその環境の一部になることなのです。それは非常に大きな一部であるのですが。

まず、子どもたちが遊ぶためにはゆっくりとした時間が必要なのです。細切れの時間では遊べないのです。朝、幼稚園に登園してから「今日はなにして遊ぼうかな?」が決まるまでに30分以上必要な子どももいます。もちろん、昨日帰るときから今日遊ぶことが決まっている子どももいます。その後に、じっくり遊べるだけの時間をしっかり子どもたちに保証しなければなりません。若草幼稚園の最初の集会はお弁当の時間です。次に、子どもたちが遊ぶためにはフリーな心こそが絶対の条件なのです。自由さのない遊びはないのです。だから“自由”というのは幼稚園の大きなテーマです。

自分のしたい遊びは自分で決めるのが当たり前のことなのです。ところが幼稚園では“自由遊び”の時間という特別な時間があるようで、それでは“自由でない遊び”もあるのかな?などと、嫌味を言いたくなるような時間もまだ残っているようです。
自由というのは大人が認めるとか認めないとかそういうことではなくて子どもたちが生まれた時から当たり前に持っているものなのです。だから自由であるというのは特別のことではありません。

若草幼稚園では“自由保育”をしているのですね。と聞かれることも度々ありますが、そんなつもりもないのです。自由保育というのがどういうことなのか、どんな形態の保育をさす言葉なのか私には理解できないのです。ただ、今まで書いてきたように子どもたちが遊ぶための絶対条件が自由ということなだけなのです。

幼稚園は小学校ですることを少しだけ早く始めるところではありません。幼稚園には幼稚園のしっかりとした役割があるのです。

そういう意味で若草幼稚園は別にユニークな幼稚園ではありません。当たり前の普通の幼稚園なのです。

自立への道

10/1/2001

 
長い夏休みも終わって2学期が始まり、子どもたちが集まってきます。おかしな言い方かも知れませんが、やっぱり幼稚園は子どもたちいて、はじめて幼稚園になるんだなあということを実感しています。園庭の木々も石も土も水も砂場も、部屋の机もおもちゃも毛糸もはさみも、イシガメもうさぎもざりがにもきんぎょも、夏休み中には力が抜けてしまっていたように感じていました。それが、子どもたちの声が聞こえてきたとたん、その全てが復活します。そして持っているパワーを発揮しはじめるのです。

まあ、そんなことで2学期が始まる訳です。毎年思うのですが、幼児期の子どもたちにとって夏休みの40日間というのは本当に長い時間なんです。まず、ほとんどの子どもの体がひとまわり大きくなっています。それはもう一目でわかるくらい成長するのです。体だけでなく心も広く大きくなって登園してきます。友だちや状況を受け入れる許容量が増えて、全体的に優しい雰囲気になっているように感じます。今学期も楽しい毎日が過ごせそうです。

子どもたちの自立を、いつも考えています。それは自律でもあります。自分の意志で生活できる子どもであってほしいし、大人になってほしいと願っています。そのための幼児期を過ごしてほしいのです。けれどもそのために「自立するんだよ」「自立しようね」と言ってみてもなんの役にもたちません。それはあまりにも安易で短絡的な方法なのですが、そういうやりかたをしている人達が多いのです。

将来自立するためには、今、幼児期から、自立していなければいけないと考えてのことでしょう。それは間違いです。“がんばれ!がんばれ!”の幼児期を過ごした子どもが、将来、頑張れる大人になれるわけではないのと同じことです。

一番大切なのは、ご両親をはじめとする大人の愛情を十分に感じながら成長するということです。失敗をしても「いいんだよ。大丈夫だよ」と許され、安心して生活できる環境の中にいることです。その中で失敗(幼児期の失敗はほとんど誰も困らない程度のものです)をくりかえしながら、彼らの価値観が出来上がっていくのです。

そのために大切なことは、やっぱり“遊ぶ”ということです。友だちと遊ぶ中で仲良くしたり、衝突したり仲直りをしたり、様々な経験をします。そしてそれは、その度毎に違った状況にあるわけですから、もう大人のイメージをはるかに超える数の経験になります。そして子どもたちは友だちを“思いやる・心使う”ことを知るのです。思いやりあう心のない自立はないと思います。

そして、遊びは自由さが基本です。自由な心のない遊びはないのです。“…遊び”などと“遊び”と名前さえつければそれは遊びだと勘違いしている人達がたくさんいます。それこそ“勉強遊び”などといいながら、大人が子どもをひっぱりまわす現実が多いことか。幼児期に自由をしっかり知るのは本当に大切なことです。自由の素晴らしさ、大事さ、たいへんさを遊ぶという自由な生活の中で身につけてほしいと思います。
最近、自立できない大人の話を聞くたびに自立への道を思います。

子どもの権利条約

6/1/2001

 
1989年11月20日、国連総会は全会一致で「子どもの権利条約」を採決しました。日本は1994年5月、158番目に加入しました。

それまで、子どもの権利という言葉を聞くことはなかったのでとても新鮮な気持ちになったことを覚えています。それまでも、子どもたちの毎日の生活を自分の意思で決めてほしいと考えていたし、生まれたときから持っているそれぞれの自由をしっかり主張して生きていってほしいと思って子どもたちとのつきあいをしてきました。それが“権利”なんだと目の前に難しい立派な文章で示されると「そうか、権利なのか」と改めて姿勢をただして子どもたちとの毎日をすごせそうです。

何年かまえに中学生の髪型が緩和されました。まだ、自由とはいえないと思いますが、“愛媛の教育と子どもの人権を考える会”の人たちが署名運動をしたり、テレビに出たり、公に訴えたりいろんな努力をした結果、劇的に坊主頭でなくてもいいということになったのです。けれども、良く考えてみると体の一部分である髪のことを他人がどうこういえる訳はないのです。それは常識でしょう。それこそ権利でしょう、人権の問題なのです。自分の体のことを決めることのできるのは自分以外にはないと思います。それは、誰が考えても当たり前のことです。その当たり前のことが長い間、無神経に破られてきたのです。相手が子どもだというだけでです。

そんなことが今でもあちこちにコロコロ転がっているのです。どうして、そんなムチャクチャなことが今までまかり通ってきたのでしょう。それは、大人が子どもたちのことをバカにしてきたからなのです。体力的にも生活の知恵的にも弱者である子どもたちを大人が力任せに押さえつけてきた歴史があるのです。子どもたちもそんな大人が怖くてしたがってきたのでしょう。

“子どもによる子どものための子どもの権利条約”という本で小口さん福岡さんの二人の中学生が子どもの権利条約を子どもの言葉で翻訳をしています。その“まえおきのまえおき”の一部を紹介します。

「今から僕が話すことっていうのは、皆が一緒に住んでいるこの地球で僕ら子どもが幸せに暮らすために、“こういうことができるといいね”“こういうふうになればいいかな”と大人たちが一生懸命考えた、そして決めた、国と国との約束。皆がいつもにこにこしていられるようになるには、きっとこれを守ることが大事になると思う。」

この文章を書くために条約を読み返してみました。第42条にこういうのがありました。

「締約国は、適当かつ積極的な方法でこの条約の原則及び規定を成人及び児童のいずれにも広く知らせることを約束する。」

まだまだ、広く知らせていないと思います。大人は皆でこの条約を読んで、そして理解して子どもたちとのつきあいを考えましょう。

子どもたちは自分のままでいる権利を持って生まれてきています。まっすぐに生きていく権利を持っています。それは大人が守っていかないとすぐ壊れてしまうものなのです。

4月の幼稚園

5/1/2001

 
2001年度が始まり今年も新しい子どもたちが入園してきました。それぞれが幼稚園での自分の居場所を見つけなければなりません。それでなくても自分一人のためだけにいてくれた親から離れて、はじめて出会う大人に預けられるのです。これは子どもたちにとって納得できる話ではありません。もしかしたら理不尽な話なのかもしれません。子どもたちはそのことに泣くことで立ち向かいます。よく理解できますので、私は入園式の時に泣きたいときは泣いたらいいよ。疲れたら幼稚園を休んでもいいよと伝えるようにしています。

若草幼稚園でも4月は3才児を中心にたくさんの子どもたちが「お母さんに会いたい」と言って泣いていました。「お母さんに会いたいよね」「泣いたらいいよ」と言いながら付き合ってきました。中には泣きたくても泣くことができない子どもたちもいます。そんな子は1週間・2週間過ぎた頃に突然大泣きします。降園後の職員室では「あの子泣いたよ」「よかったね」という会話が行き交います。

子どもたちも疲れたら適当に休みながら、なんとなく、若草幼稚園も落ち着きを取り戻してきました。そんな中での子どもたちの姿を少し書いてみます。

A君は3才児です。入園前から園長のことが大好きで、幼稚園に入ったらクラスは園長組になるんだと張り切っていたことを、お母さんから聞いていました。それで、入園すると私のそばにいる時間が多いんだろうなと思っていたのです。ところが入園してみると彼は全くそばに寄ってこないのです。遠くから私のほうを見ている彼はいつも感じていました。私がそっちを見ると彼はその視線をそらすのです。私は自分から彼に寄っていくことはしないようにしようと思って彼の行動を見ていることにしました。そうしているうちに彼のことを忘れてしまっていたのです。
ある日、降園のバスを待っている時間に門の所に座っていたのですが、偶然その隣にA君が座っていました。私はそのことに気がつきませんでした。突然、彼が私の肩に乗ってきました。そして、私のほっぺたや腕や顔や指をぺろぺろなめはじめました。私は本当はびっくりしたのですが、何ともないふりをしてしたいようにさせておきました。しばらくなめまわしていましたが、気が済んだようで、また、隣に座って笑いかけてくれました。

A君は私と友だちになろうと彼のやり方で関係を作りました。もう私たちの付き合いは始まったのです。

それから2・3日してからのことです。B君がそばに寄ってきて、「園長」と呼ぶので「何ぞ」と答えると彼はにやっと笑ってうれしそうにどこかへ行ってしまいました。B君はこの4月に他園から転入園してきた年中児です。4月当初から、あっちこっちいろんな場所をうろうろして先輩の動きを観察している様子が見られていました。そんな動きが少し気になってはいたのです。遊べていないのではないかな。楽しくないのではないかなという思いです。けれども、友だちの遊びを見ているというのは大切なことだということを信じて黙っていました。そんな中で、B君は年長組の友だちや年少組から上がってきた年中児が私のことを「園長!」と呼び捨てにするのを「いいのかな」というような不思議な顔をして見ていました。前にいた幼稚園では園長先生のことを「園長」と呼び捨てる習慣がなかったのでしょう。そんな葛藤が彼の中であったのだと思います。それが納得いくまでに1ヶ月以上かかったのでしょう。彼の中でやっと「いいんだ」という結論に達して「園長」と呼ぼうと心に決めて私のそばに寄ってきたのだと思います。

そんなふうに子どもたちの心は一つ一つ解放していくのかもしれません。

若草幼稚園は愛媛県の松山市にあります。子どもたちのあるがままの姿をそのまま受け止めたいと思っている幼稚園です。子どもたちは毎日、自分のしたいことを自分で見つけて遊んでいます。自分の意志で遊んでいく中で子どもたちの心が開いていけばいいなと思っています。そのことが安定につながっていくんだろうと考えているからです。そして安定こそが自立への始まりだと思います。そのためには幼稚園という場が精神的な意味で開放されていないといけないのでしょう。

若草幼稚園にはいつも園児のお父さんやお母さんや兄弟やOBが当たり前のようになんとなく来てくれます。今は小学校4年生の学校にいっていない子どももお弁当をもって遊びにきています。

当たり前のようにというのは幼稚園ではおおいに大切なテーマです。幼稚園の中のほとんどのことが特別なことであってはいけないと思います。自由であること・自分のことは自分で決めるということ・障害のある子どもも一緒にいるということ・友達と思いやりあうこと・許しあうこと等々多くのことが当たり前のようにある毎日である必要があります。そしてたまに本当にたまに特別なことがあるのです。

話が脱線してしまいました。

そんなふうに幼稚園に来てくれている保護者の方々にたびたび相談を受けます。心配事が沢山あるようです。子どもたちをとりまく環境があまりよくないので仕方ないことなのかもしれません。小学校に入学してからのことまで心配されています。もちろん管理教育で有名な愛媛の学校ですから、その気持ちは良く分かるのです。けれども心配するというのは子どもたちにとって決していいことではありません。子どもたちは親の心配を敏感に察します。そして、その心配にあった子どもになります。親の不安定さがそのまま子どもの不安定さにつながっていくのです。

私は相談をうけたときいつも「大丈夫ですよ。心配しないであげてください。子どもたちの持っている力を信じてあげてください。彼らはきっと自分の持っている力で解決していきますから」と伝えるようにしています。

いま社会には心配が満ちあふれています。たしかに心配なことだらけです。けれどもそれは心配することでは解決しません。

子どもたちのそばにいる大人がゆったりと楽しそうに生活する姿を子どもたちに見せるのが大切なことなのです。

園長のつぶやき

4/1/2001

 
3月18日、快晴に恵まれて1996年度の若草幼稚園卒園式を終え、気の抜けた状態の中でこの原稿を書いています。今年も“昨年3月この欄で紹介した”ビンキャップのバッチを誇らしげに胸につけ、精一杯おしゃれをした子どもたちは若草幼稚園を卒園していきました。保護者の方々が集めてきてくださったホールいっぱいの菜の花に囲まれて、赤いじゅうたんの上を修了証書を受け取りに歩く子どもたちの顔は本当に“いい顔”でした。

今回は最終回(愛媛新聞連載時)なので、テーマを決めず思いつくままに書いてみたいと思っています。
松山にもいろんなタイプの幼稚園があります。私なりに分類してみたいと思います。

① 子どもたちのための幼稚園です。

② 親のための幼稚園があります。

③ は幼稚園のための幼稚園です。

①は幼稚園の本来の姿でしょう。子どもたちが自分の方向に伸びていく幼稚園です。問題は②です。保育料をお支払いいただくのは親御さんですから、親御さんの要求に答えていこうという幼稚園です。要求に答えることで園児を集めようとします。
文字を教えますよ。お遊戯を上手に踊れるようにしますよ。見事な鼓笛隊が見れますよ等々、目の前で結果が出ることを次々とサービスしていきます。(幼稚園は芸を仕込む所ではないはずですけどネェ。)親御さんもそれを喜んで要求がどんどんエスカレートしていきます。それは結果的に子どもたちを大人の言うなりに従うだけの人格をつくってしまうことにつながってしまうのです。全体に従うことしか考えられずに、自分自身を見失ってしまっているのが子どもたちの現実です。大人に好かれようと一生懸命“いい子”を演じようとして疲れてしまっているのです。今は、いい子が一番問題を抱えています。

それから、親が自分の子どもにどんな大人になってほしいと願っているのか私には見えてきません。経済が最優先の社会がずーっと続いて来たことで、経済的なイメージは強くあるようですが、どんな人格になってほしいのかが分かりにくいのです。本当はそのことが一番大切なことのはずです。

最後に、幼稚園を最初に作った“フレーベル”という方の私の大好きな言葉を紹介します。
「自然のままの本当の母親は、子どもの中でわずかながら全面的に活動する生命に全面的にしかもひそかについていきながら、それを強め、より奥深いところにまだまどろんでいる、より全面的な生命をしだいしだいに目覚めさせ、それを発展させるのである。
もう一方の母親達は、子どもの内部はからっぽだと思い、やたらに生命を吹きこもうとしたがる。いや、からっぽだと信じこむほどに、そうやって子どもの生命を殺していっているのだ。」

若草幼稚園の保護者の方には機会をみつけてお知らせするようにしている言葉です。少し分かりにくい文章ですが何回か読み直してみると非常に内容のある言葉です。
子どもたちの生命を本気で信じて、部分的でなく全面的に、無神経でなくひそかに寄り添って子どもたちの力が伸びていくのを見守っていきたいものです。

まだまだ子どもたちを取り巻く環境は厳しいものがあります。理解ある大人が増えていくことを願います。

卒園式

3/1/2001

 
卒園式
・・あいさつも皆勤賞もいらない・・
今日はポカポカといい天気なので、園庭で子どもたちが遊んでいる様子を眺めながらかいています。
あと1週間で年長組みの子どもたちとはお別れをしなければなりません。(この文章が本誌に載るのは4月ですが、今はまだ3月です)。私にとっては寂しく、元気の出にくい時期なのです。
そして、毎年いまごろになると、それぞれの子どもが入園したころのことが思い出されます。

毎日、お母さんと離れるのがつらかったAちゃん。園を抜け出して家まで帰っていったBちゃん。園に慣れて泣くのをやめたとたんに、泣いている友達の世話を始めたCちゃん。大きなストレスを溜めたまま入園してきたDちゃん。
それぞれがおおきく成長し、ひとりひとりが期待感や不安感を胸に、小学校への入学を待っています。
自由に遊んでいた子どもたちも小学校の管理教育の中にいやおうなく巻き込まれていくのです。
管理の生活のなかに子どもたちが対応できていくのかどうか、というのが本園に入園してくる保護者の方々が皆さん一番心配されることのようです。

子供たちの意志をそのまま受け止めながら、子どもたちが作っていく幼稚園をめざして始めたころには、私にも同じような心配が確かにありました 。しかし、管理に慣れるのに時間がかかったとしても、そして、そのあと管理に慣れていったとしても、(本当は慣れてほしくはないのですが)3歳・4歳・5歳の人間の人生の中で一番大切な時期を、自分の意志をしっかり感じながら生活していくことはその人の原体験として体の真ん中に残っていくのです。それを信じて保育を進めてきました。
ところが子どもたちは私が思っているほど“ヤワ”ではなかったのです。自分で決める生活を何年か続けてきた子どもたちは、別の環境への適応も納得さえすれば自分の意志でできるようになるのです。それを感じたことが私の仕事に大きな自信となっています。

昨年から卒園式のやり方が大きく変わりました。それまでも、壇上は使わず保護者と子どもたちは対面のかたちで実施していましたし、子どもたちは好きな歌をいっぱい歌っていました。子どもたちのためだけの式にしたいという思いは職員全員にありましたので、来賓は呼んだことがありません。出席者は子どもたちと保護者と保育者と園長だけです。子どもたちのお祝いを心からできる人々で送りたいと思っていました。

それでも園長と保護者の代表のあいさつはあったし、皆勤賞や精勤賞の表彰があったのです。最初にこの二つをなくそうと思いました。皆勤賞があるということだけで子どもたちにプレッシャーを与えることになるからです。皆勤賞というのは休むのは良くないことだと言っていることですよね。休まない子を褒めるというのはそういうことでしょう。人間は休みながら生活していくものだと思います。子どもを褒めるのは大変難しいことで、叱るのと褒めるのは同じことのように思えます。
式の前日に、みんなで協力して菜の花を山ほど集めました。式場を菜の花畑にしようと思ったのです。菜の花の間を通って子どもたちが修了証書を取りにくるのはいいなと思ったのです。予想どうりの結果でした。

幼稚園のホールには菜の花の匂いが一杯にひろがり、おしゃれをした子どもたちは誇らしげに花の間を歩きました。
園長もあいさつをやめました。そのかわりギターをひいて子どもたちと歌を歌いました。子どもたちは感謝の気持ちをこめてお父さんとお母さんにチューリップを送りました。シャボン玉を飛ばしました。主役は絶対子どもたちでした。
今年も昨年みたいな雰囲気の卒園式になればいいなと考えいます。
最後に、日本保育学会の初代会長で、「自由遊び」などを訴えて幼児教育界に大きな影響を与えた故・倉橋惣三先生の文章を紹介したいとおもいます。

『子どもたちを送る日』
何たる縁か。こうして親しく、あなたの為には大切ないくとせを、日々一緒に楽しみ得たことか。
「教育」そんなことよりも、あなたを迎える朝な朝なが私の楽しみでした。「あなたのため」そんなことよりも、あなたと一緒に遊ぶことが私の喜びでした。
ただね、今になって考えてみると、随分行き届かないことが多かったと、それがすまないのですよ。けれどね、御免なさいなんてそんなことは決して言いませんよ。私の足りないことを、あなたは何とも思ったりしていないと、それが私にはしっかりとわかっているから………もし、そうでなかったら、にこにことあなたの修了を、お送り出来るものですか。
「いい先生」。そんなこと、どうでもいいんです。あなたの好きな先生だったのですものね。本当にそうだったんですね。
倉 橋 惣 三「育ての心より」
四月、また新しい出会いがあります。
どの子も楽しい人生でありますように 合掌
えひめ雑誌 1995年4月号より
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    流水 龍也

    若草幼稚園 理事長
    (前園長)

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