子どもは大人の鏡です
・・私たちに楽しい生活を見せてね・・
昨年の10月の“うんどうかい”から始まった“ざっくばらん”も今月で1年になります。いつも感じていることを、そのまま書いてきましたが、今回が最終回にふさわしいことを書きたいなという気持ちもないこともないのですが気負ってみてもしかたないのでいつものように思いついたことを思いついたように書いていきたいと思います。
テレビでは甲子園の全国高等学校野球選手権大会で帝京高校が優勝したことをアナウンサーが興奮した声で伝えています。(1995年度)
高校生の野球をこんなに大袈裟にしてしっまていいのだろうかという思いが最近この季節になるたびします。高校生の純粋な学校スポーツの中のひとつであるはずの硬式野球を、大人たちが寄ってたっかて子どもたちから取り上げてしまい、大人たちそれぞれの思惑にあうように曲げてしまっているように見えます。
“勝つ”ことが1番大切な価値観であると、そのための厳しい毎日の練習を繰り返し、子どもたちにとっては感性をみがく大切な時期を、大人の言うことを「はいっ!はいっ!」と聞くだけの、時間を過ごさせてはなりません。高校野球は教育の一環だとよくいろんな人が言うのですが、私には野球を通うしてどんな人間になってほしいと思っておられるのか想像ができません。自分の意志でなく、どなたかの考えのように動く人間にしようとしているようにしか見えません。
そして自分を殺すことが1番大切な“勝つ”ことにつながると教えます。そしてそのための舞台は大きければ大きいほどいいと考えているようです。高校生のスポーツの全国大会に参加するために多額の寄付金が必要だというのもおかしなことだと思います。そしていつもこの大会が大人の賭けの対象になっていることをだれもが知っています。
そろそろ大人たちは高校野球から手をひいて子どもたちに返してあげましょう。野球は高校生活のほんの1部分なんだよと教えてあげましょう。
「指導者(監督)が子どもたちと同じ服装(ユニホーム)をしているというスポーツもあまり無いですよね。」
もちろん、地方大会の1回戦や2回戦で負けていくチームには高校生活を楽しみながら、多種多様な価値観を感じさせられるような素晴らしい指導者にめぐまれたチームもあるだろうとは想像できます。今日は別に高校野球のことを書こうと思って書き始めたわけではないのですが、なんとなく止まらなくなってしまいました。
話を元に戻したいのですが、最後にひとつ野球中継のテレビを見ていて気になったことは、試合後のインタビューでの監督の語彙の数が非常に少ないということです。どの監督も同じことを同じ言葉で話されます。全く同じ談話を何回聞いたことでしょう。高校生という人間形成の最後の時期に子どもたちとの付き合いをする大人なのですから、もう少し本人の感受性を感じさせる言葉を聞かせてほしいものです。
“いじめ”の報道がいつまでたってもあとを断ちません。その少し前までは“不登校”が大きく報じられていましたが、その前は校内暴力・家庭内暴力です。子どもたちの心がズーッと長い時間をかけて張り裂け続けています。子どもたちにストレスをため続けていく、今までの教育のやり方がっていたという結論はもうすでにでているのです。
子どもたちに関わっている大人、特に人間形成に1番大切な幼児期の教育に関わっている人々はこれまでの自分を悔い改めましょう。 自分の思いどうりに子どもたちを動かしてきたことを反省しましょう。そして子どもたちが自分の心をそだてることに手をかしてあげましょう。人生はこんなに楽しいんだよと自分の生活を通して教えてあげるのです。そのためには毎日の生活を楽しめる人である必要があります。友達とおしゃべりすることの楽しさ、思いやりあう楽しさ、仕事することの楽しさ、遊ぶことの楽しさ、食事することの楽しさ、そして悲しみ、喜び、怒りすべてを含めて人生を楽しめる人であってほしいと思います。
子どもたちは、私たちをいつもしっかり観察しています。子どもたちの生活は大人の生活の鏡です。楽しい生活を見せてあげてください。
若草幼稚園も、もうすぐ2学期が始まります。私も子どもたちと一緒に 毎日の生活を楽しみたいと思っています。楽しい生活のなかで幸せを感じあいながら子どもたちと付き合っていきたいと思っています。
子どもたちを取り巻く環境が少しずつよくなっていくのを思い浮かべながらおしまいにしたいと思います。
えひめ雑誌 ざっくばらん 1995年9月号より
・・私たちに楽しい生活を見せてね・・
昨年の10月の“うんどうかい”から始まった“ざっくばらん”も今月で1年になります。いつも感じていることを、そのまま書いてきましたが、今回が最終回にふさわしいことを書きたいなという気持ちもないこともないのですが気負ってみてもしかたないのでいつものように思いついたことを思いついたように書いていきたいと思います。
テレビでは甲子園の全国高等学校野球選手権大会で帝京高校が優勝したことをアナウンサーが興奮した声で伝えています。(1995年度)
高校生の野球をこんなに大袈裟にしてしっまていいのだろうかという思いが最近この季節になるたびします。高校生の純粋な学校スポーツの中のひとつであるはずの硬式野球を、大人たちが寄ってたっかて子どもたちから取り上げてしまい、大人たちそれぞれの思惑にあうように曲げてしまっているように見えます。
“勝つ”ことが1番大切な価値観であると、そのための厳しい毎日の練習を繰り返し、子どもたちにとっては感性をみがく大切な時期を、大人の言うことを「はいっ!はいっ!」と聞くだけの、時間を過ごさせてはなりません。高校野球は教育の一環だとよくいろんな人が言うのですが、私には野球を通うしてどんな人間になってほしいと思っておられるのか想像ができません。自分の意志でなく、どなたかの考えのように動く人間にしようとしているようにしか見えません。
そして自分を殺すことが1番大切な“勝つ”ことにつながると教えます。そしてそのための舞台は大きければ大きいほどいいと考えているようです。高校生のスポーツの全国大会に参加するために多額の寄付金が必要だというのもおかしなことだと思います。そしていつもこの大会が大人の賭けの対象になっていることをだれもが知っています。
そろそろ大人たちは高校野球から手をひいて子どもたちに返してあげましょう。野球は高校生活のほんの1部分なんだよと教えてあげましょう。
「指導者(監督)が子どもたちと同じ服装(ユニホーム)をしているというスポーツもあまり無いですよね。」
もちろん、地方大会の1回戦や2回戦で負けていくチームには高校生活を楽しみながら、多種多様な価値観を感じさせられるような素晴らしい指導者にめぐまれたチームもあるだろうとは想像できます。今日は別に高校野球のことを書こうと思って書き始めたわけではないのですが、なんとなく止まらなくなってしまいました。
話を元に戻したいのですが、最後にひとつ野球中継のテレビを見ていて気になったことは、試合後のインタビューでの監督の語彙の数が非常に少ないということです。どの監督も同じことを同じ言葉で話されます。全く同じ談話を何回聞いたことでしょう。高校生という人間形成の最後の時期に子どもたちとの付き合いをする大人なのですから、もう少し本人の感受性を感じさせる言葉を聞かせてほしいものです。
“いじめ”の報道がいつまでたってもあとを断ちません。その少し前までは“不登校”が大きく報じられていましたが、その前は校内暴力・家庭内暴力です。子どもたちの心がズーッと長い時間をかけて張り裂け続けています。子どもたちにストレスをため続けていく、今までの教育のやり方がっていたという結論はもうすでにでているのです。
子どもたちに関わっている大人、特に人間形成に1番大切な幼児期の教育に関わっている人々はこれまでの自分を悔い改めましょう。 自分の思いどうりに子どもたちを動かしてきたことを反省しましょう。そして子どもたちが自分の心をそだてることに手をかしてあげましょう。人生はこんなに楽しいんだよと自分の生活を通して教えてあげるのです。そのためには毎日の生活を楽しめる人である必要があります。友達とおしゃべりすることの楽しさ、思いやりあう楽しさ、仕事することの楽しさ、遊ぶことの楽しさ、食事することの楽しさ、そして悲しみ、喜び、怒りすべてを含めて人生を楽しめる人であってほしいと思います。
子どもたちは、私たちをいつもしっかり観察しています。子どもたちの生活は大人の生活の鏡です。楽しい生活を見せてあげてください。
若草幼稚園も、もうすぐ2学期が始まります。私も子どもたちと一緒に 毎日の生活を楽しみたいと思っています。楽しい生活のなかで幸せを感じあいながら子どもたちと付き合っていきたいと思っています。
子どもたちを取り巻く環境が少しずつよくなっていくのを思い浮かべながらおしまいにしたいと思います。
えひめ雑誌 ざっくばらん 1995年9月号より