無神経な教師
1994年度の子どもたちが卒園し、小学校に入学してからもう4ヶ月たちました。
時々、幼稚園を思い出してくれることもあるようでたずねてくれます。先日もMちゃん親子が久しぶりに顔を見せに来てくれました。結構長い時間おしゃべりをしました。
Mちゃんのおかあさんは「若草幼稚園にくるとホッとする」といってくれました。そういえば時々そんなことをいわれます。いろんな大人が「落ち着く」とか「気持ちがいい」とか「癒される」とかいろいろな表現ですが、若草幼稚園という場の持つ心地よさを伝えてくれました。たびたび、そう言われるので私は考えてみました。毎日若草幼稚園にどっぷりつかってしまっている私には感じることができなかったことだったんです。
子どもたちが持っているパワーやオーラが幼稚園を包んでいて、とっくにそんなものは無くしてしまっている大人たちを心地よくしてくれているような気がします。
話が訳のわからんところに脱線してしまいそうなので元に戻します。
Mちゃんのお母さんとは当然「小学校は楽しく行っていますか」というお話になります。「友達もすぐにできて楽しそうに通学していますよ」との返事にそのはずだと思いながらもホッとするのでした。そのあとお母さんとのお話の中で小学校のおもしろい話をお聞きしましたのでご紹介しておきましょう。
Mちゃんは感性の素晴らしい子どもです。そのために友達と衝突をすることも時々ありましたが、おもしろい考え方をする神経の繊細な子どもでした。
そのことはこの話とは関係ないかもしれませんが。ある日、Mちゃんは宿題を書くノートを学校に忘れて帰ったんだそうです。そこでお母さんと「どうしたらいいんだろう」と相談をしました。お母さんが「とりあえず別の紙に書いて行ったらいいよ」と言い、Mちゃんもそれがいいなと考えてそうすることにしました。
ところがそのことが学校で担任に叱られることになったのです。そんなに強く叱られたのではないようですが、それはよくないとMちゃんに伝えたそうです。(私には何がよくないことなのか全く理解はできません)その先生はあまりにMちゃんの心に無神経なのではないかと思います。
まず、お母さんに相談し話し合うことができたことを子どもと一緒にに喜ぶべきでしょう。
それからお母さんの素晴らしい意見、「無ければ別の紙をつかう」。これは生活の中で当たり前の知恵でしょう。それを「よかったね」と言ってあげることが教師の仕事だと思います。それをすべて否定してしまった担任は大いに反省をしなければなりません。繊細なMちゃんの心は傷ついたにちがいありません。
子どもたちの心の傷は大人には解りにくいのかもしれませんが、子どもたちと一緒に生活をし、それを職業としている大人には許されないことだと思います。
もう一つは別の子どもの話ですが、S君がやっぱり宿題のことで解らないことがあって、直接担任の先生へ電話をしたそうです。ところがその担任の返事は「学校で私の話を聞いてなかったのですか」でした。S君はそんな言葉がかえってくるとは想像もしていなかったでしょう。
大好きな先生と電話で話して解らないことをおしえてもらおうと、ウキウキしていただろうと想像できます。すごいショックだったでしょう。その先生はS君との心のつながりを自分で断ち切ってしまったのです。自分の言葉がS君にとってそんなに大切なこととは意識していなかったろうと思います。けれどもS君の心を取り戻すには大変な努力が必要になってくるということも知らないんだろうなぁと想像できます。そして、その先生が子どもを自分の考えたとおりにさせることで、その子にどんな大人になってほしいと思っているのか、私には解りません。
S君はそのあと電話の前で泣いたそうです。
他人の心を他人の心の痛みを解ることができない、思いやることができない子どもたちがいやになるほど多く問題になっています。それは小さいときから子どもたちは自分の心を思いやってもらっていないのも一因のような気がします。
きょうここに書いたようなことは本当に日常的にあることで気にもされないことなのでしょう。けれども子どもたちの心は割りと平気に無神経に気がつかない間につぶされて行きます。
子どもたちは私たちの宝のはずです。その心はもっと大切に扱われるべきだと思います。傷つきやすい心です。やさしい言葉で、やさしい声で、やさしい笑顔で、やさしい心で、子どもたちと接してほしいものです。
えひめ雑誌 ざっくばらん 1995年8月号より
1994年度の子どもたちが卒園し、小学校に入学してからもう4ヶ月たちました。
時々、幼稚園を思い出してくれることもあるようでたずねてくれます。先日もMちゃん親子が久しぶりに顔を見せに来てくれました。結構長い時間おしゃべりをしました。
Mちゃんのおかあさんは「若草幼稚園にくるとホッとする」といってくれました。そういえば時々そんなことをいわれます。いろんな大人が「落ち着く」とか「気持ちがいい」とか「癒される」とかいろいろな表現ですが、若草幼稚園という場の持つ心地よさを伝えてくれました。たびたび、そう言われるので私は考えてみました。毎日若草幼稚園にどっぷりつかってしまっている私には感じることができなかったことだったんです。
子どもたちが持っているパワーやオーラが幼稚園を包んでいて、とっくにそんなものは無くしてしまっている大人たちを心地よくしてくれているような気がします。
話が訳のわからんところに脱線してしまいそうなので元に戻します。
Mちゃんのお母さんとは当然「小学校は楽しく行っていますか」というお話になります。「友達もすぐにできて楽しそうに通学していますよ」との返事にそのはずだと思いながらもホッとするのでした。そのあとお母さんとのお話の中で小学校のおもしろい話をお聞きしましたのでご紹介しておきましょう。
Mちゃんは感性の素晴らしい子どもです。そのために友達と衝突をすることも時々ありましたが、おもしろい考え方をする神経の繊細な子どもでした。
そのことはこの話とは関係ないかもしれませんが。ある日、Mちゃんは宿題を書くノートを学校に忘れて帰ったんだそうです。そこでお母さんと「どうしたらいいんだろう」と相談をしました。お母さんが「とりあえず別の紙に書いて行ったらいいよ」と言い、Mちゃんもそれがいいなと考えてそうすることにしました。
ところがそのことが学校で担任に叱られることになったのです。そんなに強く叱られたのではないようですが、それはよくないとMちゃんに伝えたそうです。(私には何がよくないことなのか全く理解はできません)その先生はあまりにMちゃんの心に無神経なのではないかと思います。
まず、お母さんに相談し話し合うことができたことを子どもと一緒にに喜ぶべきでしょう。
それからお母さんの素晴らしい意見、「無ければ別の紙をつかう」。これは生活の中で当たり前の知恵でしょう。それを「よかったね」と言ってあげることが教師の仕事だと思います。それをすべて否定してしまった担任は大いに反省をしなければなりません。繊細なMちゃんの心は傷ついたにちがいありません。
子どもたちの心の傷は大人には解りにくいのかもしれませんが、子どもたちと一緒に生活をし、それを職業としている大人には許されないことだと思います。
もう一つは別の子どもの話ですが、S君がやっぱり宿題のことで解らないことがあって、直接担任の先生へ電話をしたそうです。ところがその担任の返事は「学校で私の話を聞いてなかったのですか」でした。S君はそんな言葉がかえってくるとは想像もしていなかったでしょう。
大好きな先生と電話で話して解らないことをおしえてもらおうと、ウキウキしていただろうと想像できます。すごいショックだったでしょう。その先生はS君との心のつながりを自分で断ち切ってしまったのです。自分の言葉がS君にとってそんなに大切なこととは意識していなかったろうと思います。けれどもS君の心を取り戻すには大変な努力が必要になってくるということも知らないんだろうなぁと想像できます。そして、その先生が子どもを自分の考えたとおりにさせることで、その子にどんな大人になってほしいと思っているのか、私には解りません。
S君はそのあと電話の前で泣いたそうです。
他人の心を他人の心の痛みを解ることができない、思いやることができない子どもたちがいやになるほど多く問題になっています。それは小さいときから子どもたちは自分の心を思いやってもらっていないのも一因のような気がします。
きょうここに書いたようなことは本当に日常的にあることで気にもされないことなのでしょう。けれども子どもたちの心は割りと平気に無神経に気がつかない間につぶされて行きます。
子どもたちは私たちの宝のはずです。その心はもっと大切に扱われるべきだと思います。傷つきやすい心です。やさしい言葉で、やさしい声で、やさしい笑顔で、やさしい心で、子どもたちと接してほしいものです。
えひめ雑誌 ざっくばらん 1995年8月号より