3月18日、快晴に恵まれて1996年度の若草幼稚園卒園式を終え、気の抜けた状態の中でこの原稿を書いています。今年も“昨年3月この欄で紹介した”ビンキャップのバッチを誇らしげに胸につけ、精一杯おしゃれをした子どもたちは若草幼稚園を卒園していきました。保護者の方々が集めてきてくださったホールいっぱいの菜の花に囲まれて、赤いじゅうたんの上を修了証書を受け取りに歩く子どもたちの顔は本当に“いい顔”でした。
今回は最終回(愛媛新聞連載時)なので、テーマを決めず思いつくままに書いてみたいと思っています。
松山にもいろんなタイプの幼稚園があります。私なりに分類してみたいと思います。
① 子どもたちのための幼稚園です。
② 親のための幼稚園があります。
③ は幼稚園のための幼稚園です。
①は幼稚園の本来の姿でしょう。子どもたちが自分の方向に伸びていく幼稚園です。問題は②です。保育料をお支払いいただくのは親御さんですから、親御さんの要求に答えていこうという幼稚園です。要求に答えることで園児を集めようとします。
文字を教えますよ。お遊戯を上手に踊れるようにしますよ。見事な鼓笛隊が見れますよ等々、目の前で結果が出ることを次々とサービスしていきます。(幼稚園は芸を仕込む所ではないはずですけどネェ。)親御さんもそれを喜んで要求がどんどんエスカレートしていきます。それは結果的に子どもたちを大人の言うなりに従うだけの人格をつくってしまうことにつながってしまうのです。全体に従うことしか考えられずに、自分自身を見失ってしまっているのが子どもたちの現実です。大人に好かれようと一生懸命“いい子”を演じようとして疲れてしまっているのです。今は、いい子が一番問題を抱えています。
それから、親が自分の子どもにどんな大人になってほしいと願っているのか私には見えてきません。経済が最優先の社会がずーっと続いて来たことで、経済的なイメージは強くあるようですが、どんな人格になってほしいのかが分かりにくいのです。本当はそのことが一番大切なことのはずです。
最後に、幼稚園を最初に作った“フレーベル”という方の私の大好きな言葉を紹介します。
「自然のままの本当の母親は、子どもの中でわずかながら全面的に活動する生命に全面的にしかもひそかについていきながら、それを強め、より奥深いところにまだまどろんでいる、より全面的な生命をしだいしだいに目覚めさせ、それを発展させるのである。
もう一方の母親達は、子どもの内部はからっぽだと思い、やたらに生命を吹きこもうとしたがる。いや、からっぽだと信じこむほどに、そうやって子どもの生命を殺していっているのだ。」
若草幼稚園の保護者の方には機会をみつけてお知らせするようにしている言葉です。少し分かりにくい文章ですが何回か読み直してみると非常に内容のある言葉です。
子どもたちの生命を本気で信じて、部分的でなく全面的に、無神経でなくひそかに寄り添って子どもたちの力が伸びていくのを見守っていきたいものです。
まだまだ子どもたちを取り巻く環境は厳しいものがあります。理解ある大人が増えていくことを願います。
今回は最終回(愛媛新聞連載時)なので、テーマを決めず思いつくままに書いてみたいと思っています。
松山にもいろんなタイプの幼稚園があります。私なりに分類してみたいと思います。
① 子どもたちのための幼稚園です。
② 親のための幼稚園があります。
③ は幼稚園のための幼稚園です。
①は幼稚園の本来の姿でしょう。子どもたちが自分の方向に伸びていく幼稚園です。問題は②です。保育料をお支払いいただくのは親御さんですから、親御さんの要求に答えていこうという幼稚園です。要求に答えることで園児を集めようとします。
文字を教えますよ。お遊戯を上手に踊れるようにしますよ。見事な鼓笛隊が見れますよ等々、目の前で結果が出ることを次々とサービスしていきます。(幼稚園は芸を仕込む所ではないはずですけどネェ。)親御さんもそれを喜んで要求がどんどんエスカレートしていきます。それは結果的に子どもたちを大人の言うなりに従うだけの人格をつくってしまうことにつながってしまうのです。全体に従うことしか考えられずに、自分自身を見失ってしまっているのが子どもたちの現実です。大人に好かれようと一生懸命“いい子”を演じようとして疲れてしまっているのです。今は、いい子が一番問題を抱えています。
それから、親が自分の子どもにどんな大人になってほしいと願っているのか私には見えてきません。経済が最優先の社会がずーっと続いて来たことで、経済的なイメージは強くあるようですが、どんな人格になってほしいのかが分かりにくいのです。本当はそのことが一番大切なことのはずです。
最後に、幼稚園を最初に作った“フレーベル”という方の私の大好きな言葉を紹介します。
「自然のままの本当の母親は、子どもの中でわずかながら全面的に活動する生命に全面的にしかもひそかについていきながら、それを強め、より奥深いところにまだまどろんでいる、より全面的な生命をしだいしだいに目覚めさせ、それを発展させるのである。
もう一方の母親達は、子どもの内部はからっぽだと思い、やたらに生命を吹きこもうとしたがる。いや、からっぽだと信じこむほどに、そうやって子どもの生命を殺していっているのだ。」
若草幼稚園の保護者の方には機会をみつけてお知らせするようにしている言葉です。少し分かりにくい文章ですが何回か読み直してみると非常に内容のある言葉です。
子どもたちの生命を本気で信じて、部分的でなく全面的に、無神経でなくひそかに寄り添って子どもたちの力が伸びていくのを見守っていきたいものです。
まだまだ子どもたちを取り巻く環境は厳しいものがあります。理解ある大人が増えていくことを願います。