運動会
10月は運動会の季節です。気候もいいし、子どもたちにとって一番楽しいはずの時期です。
ところが、2学期が始まるとすぐに、運動会の練習が始まる幼稚園が多くあります。幼稚園のそばを通ると、ピーッという笛の音が聞こえたり、保育者の大きなヒステリックな声が園庭に響き渡りだします。
また、それに比べて、いつもと同じような落ち着いた幼稚園生活を続けている園も少数ですがあります。幼稚園が運動会をどうとらえるかで、運動会の前後の子どもたちの幼稚園での生活は大きくかわります。
運動会の時期だけのことでなく、子どもたちが1年中遊ぶためにあるはずの園庭もたった1日の運動会をするための運動場になってしまっています。道具や樹はすべて隅のほうで小さくなっていますので、園庭には陰がありません。夏の暑い時期に子どもたちはどうやって遊ぶんだろうと要らぬ心配をしてしまいます。
そして、その練習は10月の運動会まで延々と1ヶ月以上続くのです。その間には子どもの意思は認められません。大人(保育者)が決めた計画にただ黙々と従うのみなのです。「今日はかけっこがしたい」とか、「お遊戯がしたい」とか関係ないことなんです。本当は、そんな子どもの意思を認めていくことの積み重ねこそが、子どもの自立につながっていくんですよ。
誤解をされないうちに書いておきますが、若草幼稚園でも運動会はあります。運動会の当日も含めた、その前後の日々が子どもたちにとって楽しい日々であるかどうかだけを考えて計画をします。大人に見せるとか、見てもらうとかいう感覚はありません。大人は子どもたちが楽しい1日になるように、一緒に参加していただこうと思っています。
当園は、樹がたくさんの園庭なので(園庭の真ん中にも植わっています)広い場所があまりなく、ゴチャゴチャしているのですが、子どもたちが毎日を過ごしている場所で運動会をしたくて、ここで出来る事をする様にしています。練習はほとんどしません。お遊戯は1回か2回してみますが…そのかわり毎年、運動会の1週間くらい前に“パン食い競争”を、年少から年長まで全員で楽しみます。パンは近所のパン屋さんで特別に小さめのをつくっていただきます。
いつも子どもたちの盛り上がりはすごいものがあります。けれども実はこの種目は運動会には無いのです。もうすぐ運動会があるよということを感じてほしいだけなのです。そして、それは期待に満ちた楽しみであってほしいのです。そのころには子どもたちは自由な遊びのなかで、リレーなど運動会の遊びが多くなってきます。
その遊びは運動会が終わってからのほうが、遊びとして広がっていきます。
15年くらい前までは、若草幼稚園も暑い園庭で毎日厳しい練習を繰り返していました。鼓笛隊もありました。行進の練習まであるんですよ。今考えると子どもたちに無理なことを押し付けていたなと、反省の毎日です。
鼓笛隊は楽器をあつかうことと行進と二つのことを一緒にしなければいけません。楽器をあつかうというだけでも5歳の子どもにとっては非常に難しいことなんです。無理をさせているんです。それを子どもたちに強いている保育者はほとんど解っているんだと思います。ある幼稚園の園長が「鼓笛隊をすることで忍耐を教える」といったというのを聞いたことがありますが、そういう人もたしかにいます。無茶な話だと思います。音楽は楽しむものです。生涯楽しむものです。それを忍耐から音楽経験の出発をしてはいけません。
子供たちは毎日を楽しく過ごす権利をもっていると思います。「今日も又、運動会の練習をするんだろうな」と思いながら、幼稚園に来させてはいけません。幼稚園は「今日は何があるんだろう」「何して遊ぼう」新しい体験を期待する“わくわく”さこそが幼稚園の大切な意味だと思います。
子どもたちは無意識のうちに大人の期待にこたえようとします。そしてそれは相手の大人が好きであればあるほどそうです。だから、お父さん、お母さん、保育者は子どもに過大な期待をしてはいけません。それは子どもたちには大きなプレッシャーになるのです。彼らはそのプレッシャーを感じながらも努力をします。だから、“がんばれ・がんばれ”で毎日の生活をしてほしくありません。“がんばれ・がんばれ”は子どもたちののびのびさとは逆の方向です。のびのびさは、子どもたちがそれぞれ、“自分の方向”にのびていくことです。それは頑張ってできるということではないのです。
こういった運動会は、人格を形成していく上で大切な時期3歳からあと、小・中学校へ、なんと10年以上も続いていくのです。
りゅうすい・たつや 1947年南宇和郡西海町生まれ。
71年若草幼稚園(松山市)園長
10月は運動会の季節です。気候もいいし、子どもたちにとって一番楽しいはずの時期です。
ところが、2学期が始まるとすぐに、運動会の練習が始まる幼稚園が多くあります。幼稚園のそばを通ると、ピーッという笛の音が聞こえたり、保育者の大きなヒステリックな声が園庭に響き渡りだします。
また、それに比べて、いつもと同じような落ち着いた幼稚園生活を続けている園も少数ですがあります。幼稚園が運動会をどうとらえるかで、運動会の前後の子どもたちの幼稚園での生活は大きくかわります。
運動会の時期だけのことでなく、子どもたちが1年中遊ぶためにあるはずの園庭もたった1日の運動会をするための運動場になってしまっています。道具や樹はすべて隅のほうで小さくなっていますので、園庭には陰がありません。夏の暑い時期に子どもたちはどうやって遊ぶんだろうと要らぬ心配をしてしまいます。
そして、その練習は10月の運動会まで延々と1ヶ月以上続くのです。その間には子どもの意思は認められません。大人(保育者)が決めた計画にただ黙々と従うのみなのです。「今日はかけっこがしたい」とか、「お遊戯がしたい」とか関係ないことなんです。本当は、そんな子どもの意思を認めていくことの積み重ねこそが、子どもの自立につながっていくんですよ。
誤解をされないうちに書いておきますが、若草幼稚園でも運動会はあります。運動会の当日も含めた、その前後の日々が子どもたちにとって楽しい日々であるかどうかだけを考えて計画をします。大人に見せるとか、見てもらうとかいう感覚はありません。大人は子どもたちが楽しい1日になるように、一緒に参加していただこうと思っています。
当園は、樹がたくさんの園庭なので(園庭の真ん中にも植わっています)広い場所があまりなく、ゴチャゴチャしているのですが、子どもたちが毎日を過ごしている場所で運動会をしたくて、ここで出来る事をする様にしています。練習はほとんどしません。お遊戯は1回か2回してみますが…そのかわり毎年、運動会の1週間くらい前に“パン食い競争”を、年少から年長まで全員で楽しみます。パンは近所のパン屋さんで特別に小さめのをつくっていただきます。
いつも子どもたちの盛り上がりはすごいものがあります。けれども実はこの種目は運動会には無いのです。もうすぐ運動会があるよということを感じてほしいだけなのです。そして、それは期待に満ちた楽しみであってほしいのです。そのころには子どもたちは自由な遊びのなかで、リレーなど運動会の遊びが多くなってきます。
その遊びは運動会が終わってからのほうが、遊びとして広がっていきます。
15年くらい前までは、若草幼稚園も暑い園庭で毎日厳しい練習を繰り返していました。鼓笛隊もありました。行進の練習まであるんですよ。今考えると子どもたちに無理なことを押し付けていたなと、反省の毎日です。
鼓笛隊は楽器をあつかうことと行進と二つのことを一緒にしなければいけません。楽器をあつかうというだけでも5歳の子どもにとっては非常に難しいことなんです。無理をさせているんです。それを子どもたちに強いている保育者はほとんど解っているんだと思います。ある幼稚園の園長が「鼓笛隊をすることで忍耐を教える」といったというのを聞いたことがありますが、そういう人もたしかにいます。無茶な話だと思います。音楽は楽しむものです。生涯楽しむものです。それを忍耐から音楽経験の出発をしてはいけません。
子供たちは毎日を楽しく過ごす権利をもっていると思います。「今日も又、運動会の練習をするんだろうな」と思いながら、幼稚園に来させてはいけません。幼稚園は「今日は何があるんだろう」「何して遊ぼう」新しい体験を期待する“わくわく”さこそが幼稚園の大切な意味だと思います。
子どもたちは無意識のうちに大人の期待にこたえようとします。そしてそれは相手の大人が好きであればあるほどそうです。だから、お父さん、お母さん、保育者は子どもに過大な期待をしてはいけません。それは子どもたちには大きなプレッシャーになるのです。彼らはそのプレッシャーを感じながらも努力をします。だから、“がんばれ・がんばれ”で毎日の生活をしてほしくありません。“がんばれ・がんばれ”は子どもたちののびのびさとは逆の方向です。のびのびさは、子どもたちがそれぞれ、“自分の方向”にのびていくことです。それは頑張ってできるということではないのです。
こういった運動会は、人格を形成していく上で大切な時期3歳からあと、小・中学校へ、なんと10年以上も続いていくのです。
りゅうすい・たつや 1947年南宇和郡西海町生まれ。
71年若草幼稚園(松山市)園長