1989年11月20日、国連総会は全会一致で「子どもの権利条約」を採決しました。日本は1994年5月、158番目に加入しました。
それまで、子どもの権利という言葉を聞くことはなかったのでとても新鮮な気持ちになったことを覚えています。それまでも、子どもたちの毎日の生活を自分の意思で決めてほしいと考えていたし、生まれたときから持っているそれぞれの自由をしっかり主張して生きていってほしいと思って子どもたちとのつきあいをしてきました。それが“権利”なんだと目の前に難しい立派な文章で示されると「そうか、権利なのか」と改めて姿勢をただして子どもたちとの毎日をすごせそうです。
何年かまえに中学生の髪型が緩和されました。まだ、自由とはいえないと思いますが、“愛媛の教育と子どもの人権を考える会”の人たちが署名運動をしたり、テレビに出たり、公に訴えたりいろんな努力をした結果、劇的に坊主頭でなくてもいいということになったのです。けれども、良く考えてみると体の一部分である髪のことを他人がどうこういえる訳はないのです。それは常識でしょう。それこそ権利でしょう、人権の問題なのです。自分の体のことを決めることのできるのは自分以外にはないと思います。それは、誰が考えても当たり前のことです。その当たり前のことが長い間、無神経に破られてきたのです。相手が子どもだというだけでです。
そんなことが今でもあちこちにコロコロ転がっているのです。どうして、そんなムチャクチャなことが今までまかり通ってきたのでしょう。それは、大人が子どもたちのことをバカにしてきたからなのです。体力的にも生活の知恵的にも弱者である子どもたちを大人が力任せに押さえつけてきた歴史があるのです。子どもたちもそんな大人が怖くてしたがってきたのでしょう。
“子どもによる子どものための子どもの権利条約”という本で小口さん福岡さんの二人の中学生が子どもの権利条約を子どもの言葉で翻訳をしています。その“まえおきのまえおき”の一部を紹介します。
「今から僕が話すことっていうのは、皆が一緒に住んでいるこの地球で僕ら子どもが幸せに暮らすために、“こういうことができるといいね”“こういうふうになればいいかな”と大人たちが一生懸命考えた、そして決めた、国と国との約束。皆がいつもにこにこしていられるようになるには、きっとこれを守ることが大事になると思う。」
この文章を書くために条約を読み返してみました。第42条にこういうのがありました。
「締約国は、適当かつ積極的な方法でこの条約の原則及び規定を成人及び児童のいずれにも広く知らせることを約束する。」
まだまだ、広く知らせていないと思います。大人は皆でこの条約を読んで、そして理解して子どもたちとのつきあいを考えましょう。
子どもたちは自分のままでいる権利を持って生まれてきています。まっすぐに生きていく権利を持っています。それは大人が守っていかないとすぐ壊れてしまうものなのです。
それまで、子どもの権利という言葉を聞くことはなかったのでとても新鮮な気持ちになったことを覚えています。それまでも、子どもたちの毎日の生活を自分の意思で決めてほしいと考えていたし、生まれたときから持っているそれぞれの自由をしっかり主張して生きていってほしいと思って子どもたちとのつきあいをしてきました。それが“権利”なんだと目の前に難しい立派な文章で示されると「そうか、権利なのか」と改めて姿勢をただして子どもたちとの毎日をすごせそうです。
何年かまえに中学生の髪型が緩和されました。まだ、自由とはいえないと思いますが、“愛媛の教育と子どもの人権を考える会”の人たちが署名運動をしたり、テレビに出たり、公に訴えたりいろんな努力をした結果、劇的に坊主頭でなくてもいいということになったのです。けれども、良く考えてみると体の一部分である髪のことを他人がどうこういえる訳はないのです。それは常識でしょう。それこそ権利でしょう、人権の問題なのです。自分の体のことを決めることのできるのは自分以外にはないと思います。それは、誰が考えても当たり前のことです。その当たり前のことが長い間、無神経に破られてきたのです。相手が子どもだというだけでです。
そんなことが今でもあちこちにコロコロ転がっているのです。どうして、そんなムチャクチャなことが今までまかり通ってきたのでしょう。それは、大人が子どもたちのことをバカにしてきたからなのです。体力的にも生活の知恵的にも弱者である子どもたちを大人が力任せに押さえつけてきた歴史があるのです。子どもたちもそんな大人が怖くてしたがってきたのでしょう。
“子どもによる子どものための子どもの権利条約”という本で小口さん福岡さんの二人の中学生が子どもの権利条約を子どもの言葉で翻訳をしています。その“まえおきのまえおき”の一部を紹介します。
「今から僕が話すことっていうのは、皆が一緒に住んでいるこの地球で僕ら子どもが幸せに暮らすために、“こういうことができるといいね”“こういうふうになればいいかな”と大人たちが一生懸命考えた、そして決めた、国と国との約束。皆がいつもにこにこしていられるようになるには、きっとこれを守ることが大事になると思う。」
この文章を書くために条約を読み返してみました。第42条にこういうのがありました。
「締約国は、適当かつ積極的な方法でこの条約の原則及び規定を成人及び児童のいずれにも広く知らせることを約束する。」
まだまだ、広く知らせていないと思います。大人は皆でこの条約を読んで、そして理解して子どもたちとのつきあいを考えましょう。
子どもたちは自分のままでいる権利を持って生まれてきています。まっすぐに生きていく権利を持っています。それは大人が守っていかないとすぐ壊れてしまうものなのです。