先日の日曜日、仲間と一緒に友達と久万の山小屋へ遊びにいってきました。夏には幼稚園の年長組の子どもたちと泊りに行く丸太の山小屋が久万の山中にあるのです。この小屋は大勢の友達に手伝ってもらいながら、あしかけ6年ぐらいかかって完成したものです。山間の小高い丘にあって回りは栗の林で、大変ロケーションのいいところです。
栗林の下には小さい川が流れていて、いつもかすかに水の流れる音が聞こえています。
耳をすますと、鳥の声や風の音やそれからじつにさまざまな音が当たり前のように聞こえてきます。それから自然の匂いを感じます。
樹の匂い、土の匂い、草の匂い…毎日の生活の中では感じることのできない匂いが心地よく匂ってきます。
けれどもそんなことよりももっと比べようがないほど私が好きなのは、時間がゆっくりと流れるということなのです。毎日を忙しがって生きていくことでストレスをためながら時間を過ごしている私たちの心をボーッとなにもないまま過ぎていくゆったりとした時間が癒してくれるのを実感として感じることができます。そんな力を感じるために時々は自然に囲まれてみるのもいいもので、ぜひ、ご家族で経験してほしいと思います。
バンド仲間とその家族プラス友人数人の2歳から48歳までの総勢25人という大所帯で山に入りました。バーベキューをしたり、なべをつくったり、食べることがほとんどを占める集まりでした。男たちの間では、奥さんたちには何もしてもらわないようにしようという申し合わせができていました。日頃の罪滅ぼしのつもりです。
とりあえず、それぞれが自分の得意のこと(火おこし・山菜採り・鍋等)で、なんとなく役割分担が決まりました。得意のない人はおしゃべりが始まります。子どもたちはそれぞれが思い思いの場所で思い思いに遊び始めました。タイムのスケジュールは全く決めていないので急ぐとかあわてるとかそんな感じは全くありません。食事の準備ができたものを、おなかのすいた人から食べていきます。
炭おこし係りの菊池さんの炭が最初におこりましたから焼き肉バーベキューが始まりました。その匂いで子どもたちが一番に集まってきましたので、子どもたちのおなかを最初に膨らまして落ち着かせようと大人は考えました。落ち着いて子どもたちは子どもたちで遊んでもらって、大人もだらだらと自分のしたいことで過ごしたかったのです。そのころにはおしゃべりが始まっていました。
時間を気にせずにおしゃべりができるのは、その内容がどうでもいいような世間話であっても人生に大切な話であっても快感です。そしてまわりは美しい緑であり、清々しい空気なのです。大いに癒されます。自然の力は大いなるものがあるのです。
そのうち、林さんの係りの鍋もできあがりました。この鍋には高浜に住んでいる三好さんが漁師さんから分けてもらった“ほご”が20匹も入っていて、みそ味と醤油味と2種類あります。これは絶品でした。
箭野さんが隅のほうで一人で何かこっそりつくっています。聞いてみると鳥のワイン煮で、もうすでに昨日練習は済ませていたようです。とにかくそのころから大人も食事が始まりました。バーベキューには松浦さん得意のじゃがバター焼きがアルミホイールに包まれて炭のなかにほうり込まれました。
とにかく、全員が食べるは食べるは普段のおなかいっぱいの3割増しくらいは食べたでしょう。
その後、句会をしたり、ギターを弾いて歌を歌う人がいたり、にわか雨がふったり、いろんなことがなんとなく始まったり終わったりしながら、(英美ちゃんと子どもたちのとってきた山菜のテンプラが時間の関係からできなかったのが残念でしたが)真っ暗になるまでいて「また来ようね、また来ようね」といいながら山を下りました。
本当に人間は自然に囲まれているのが、絶対条件なのだといつも思っています。人間は地球の一部分なのだし、お互いが癒し合う関係であるべきだと思うのですが、今は一方的に人間が自然を破壊し続けているというのが現実でしょう。自然の優しさを感じることができたら、そんなことはできなくなるのだろうと思います。
子どもたちと一緒に積極的自然に入りましょう。自然に優しく包んでもらいましょう。松山にはまだまだそんな自然がすぐ側にあるのです。土の声、風の音、木々のささやきを感じてみましょう。大人は感じる事ができなくなっているかもしれませんが、子どもたちは感じることができます。 そして、癒された優しい心で競争するのでなくお互い思いやり合う生活を始めましょう。人間は本来優しく生まれてきていると思います。
1995年愛媛雑誌掲載 ざっくばらんより
栗林の下には小さい川が流れていて、いつもかすかに水の流れる音が聞こえています。
耳をすますと、鳥の声や風の音やそれからじつにさまざまな音が当たり前のように聞こえてきます。それから自然の匂いを感じます。
樹の匂い、土の匂い、草の匂い…毎日の生活の中では感じることのできない匂いが心地よく匂ってきます。
けれどもそんなことよりももっと比べようがないほど私が好きなのは、時間がゆっくりと流れるということなのです。毎日を忙しがって生きていくことでストレスをためながら時間を過ごしている私たちの心をボーッとなにもないまま過ぎていくゆったりとした時間が癒してくれるのを実感として感じることができます。そんな力を感じるために時々は自然に囲まれてみるのもいいもので、ぜひ、ご家族で経験してほしいと思います。
バンド仲間とその家族プラス友人数人の2歳から48歳までの総勢25人という大所帯で山に入りました。バーベキューをしたり、なべをつくったり、食べることがほとんどを占める集まりでした。男たちの間では、奥さんたちには何もしてもらわないようにしようという申し合わせができていました。日頃の罪滅ぼしのつもりです。
とりあえず、それぞれが自分の得意のこと(火おこし・山菜採り・鍋等)で、なんとなく役割分担が決まりました。得意のない人はおしゃべりが始まります。子どもたちはそれぞれが思い思いの場所で思い思いに遊び始めました。タイムのスケジュールは全く決めていないので急ぐとかあわてるとかそんな感じは全くありません。食事の準備ができたものを、おなかのすいた人から食べていきます。
炭おこし係りの菊池さんの炭が最初におこりましたから焼き肉バーベキューが始まりました。その匂いで子どもたちが一番に集まってきましたので、子どもたちのおなかを最初に膨らまして落ち着かせようと大人は考えました。落ち着いて子どもたちは子どもたちで遊んでもらって、大人もだらだらと自分のしたいことで過ごしたかったのです。そのころにはおしゃべりが始まっていました。
時間を気にせずにおしゃべりができるのは、その内容がどうでもいいような世間話であっても人生に大切な話であっても快感です。そしてまわりは美しい緑であり、清々しい空気なのです。大いに癒されます。自然の力は大いなるものがあるのです。
そのうち、林さんの係りの鍋もできあがりました。この鍋には高浜に住んでいる三好さんが漁師さんから分けてもらった“ほご”が20匹も入っていて、みそ味と醤油味と2種類あります。これは絶品でした。
箭野さんが隅のほうで一人で何かこっそりつくっています。聞いてみると鳥のワイン煮で、もうすでに昨日練習は済ませていたようです。とにかくそのころから大人も食事が始まりました。バーベキューには松浦さん得意のじゃがバター焼きがアルミホイールに包まれて炭のなかにほうり込まれました。
とにかく、全員が食べるは食べるは普段のおなかいっぱいの3割増しくらいは食べたでしょう。
その後、句会をしたり、ギターを弾いて歌を歌う人がいたり、にわか雨がふったり、いろんなことがなんとなく始まったり終わったりしながら、(英美ちゃんと子どもたちのとってきた山菜のテンプラが時間の関係からできなかったのが残念でしたが)真っ暗になるまでいて「また来ようね、また来ようね」といいながら山を下りました。
本当に人間は自然に囲まれているのが、絶対条件なのだといつも思っています。人間は地球の一部分なのだし、お互いが癒し合う関係であるべきだと思うのですが、今は一方的に人間が自然を破壊し続けているというのが現実でしょう。自然の優しさを感じることができたら、そんなことはできなくなるのだろうと思います。
子どもたちと一緒に積極的自然に入りましょう。自然に優しく包んでもらいましょう。松山にはまだまだそんな自然がすぐ側にあるのです。土の声、風の音、木々のささやきを感じてみましょう。大人は感じる事ができなくなっているかもしれませんが、子どもたちは感じることができます。 そして、癒された優しい心で競争するのでなくお互い思いやり合う生活を始めましょう。人間は本来優しく生まれてきていると思います。
1995年愛媛雑誌掲載 ざっくばらんより