長い夏休みも終わって2学期が始まり、子どもたちが集まってきます。おかしな言い方かも知れませんが、やっぱり幼稚園は子どもたちいて、はじめて幼稚園になるんだなあということを実感しています。園庭の木々も石も土も水も砂場も、部屋の机もおもちゃも毛糸もはさみも、イシガメもうさぎもざりがにもきんぎょも、夏休み中には力が抜けてしまっていたように感じていました。それが、子どもたちの声が聞こえてきたとたん、その全てが復活します。そして持っているパワーを発揮しはじめるのです。
まあ、そんなことで2学期が始まる訳です。毎年思うのですが、幼児期の子どもたちにとって夏休みの40日間というのは本当に長い時間なんです。まず、ほとんどの子どもの体がひとまわり大きくなっています。それはもう一目でわかるくらい成長するのです。体だけでなく心も広く大きくなって登園してきます。友だちや状況を受け入れる許容量が増えて、全体的に優しい雰囲気になっているように感じます。今学期も楽しい毎日が過ごせそうです。
子どもたちの自立を、いつも考えています。それは自律でもあります。自分の意志で生活できる子どもであってほしいし、大人になってほしいと願っています。そのための幼児期を過ごしてほしいのです。けれどもそのために「自立するんだよ」「自立しようね」と言ってみてもなんの役にもたちません。それはあまりにも安易で短絡的な方法なのですが、そういうやりかたをしている人達が多いのです。
将来自立するためには、今、幼児期から、自立していなければいけないと考えてのことでしょう。それは間違いです。“がんばれ!がんばれ!”の幼児期を過ごした子どもが、将来、頑張れる大人になれるわけではないのと同じことです。
一番大切なのは、ご両親をはじめとする大人の愛情を十分に感じながら成長するということです。失敗をしても「いいんだよ。大丈夫だよ」と許され、安心して生活できる環境の中にいることです。その中で失敗(幼児期の失敗はほとんど誰も困らない程度のものです)をくりかえしながら、彼らの価値観が出来上がっていくのです。
そのために大切なことは、やっぱり“遊ぶ”ということです。友だちと遊ぶ中で仲良くしたり、衝突したり仲直りをしたり、様々な経験をします。そしてそれは、その度毎に違った状況にあるわけですから、もう大人のイメージをはるかに超える数の経験になります。そして子どもたちは友だちを“思いやる・心使う”ことを知るのです。思いやりあう心のない自立はないと思います。
そして、遊びは自由さが基本です。自由な心のない遊びはないのです。“…遊び”などと“遊び”と名前さえつければそれは遊びだと勘違いしている人達がたくさんいます。それこそ“勉強遊び”などといいながら、大人が子どもをひっぱりまわす現実が多いことか。幼児期に自由をしっかり知るのは本当に大切なことです。自由の素晴らしさ、大事さ、たいへんさを遊ぶという自由な生活の中で身につけてほしいと思います。
最近、自立できない大人の話を聞くたびに自立への道を思います。
まあ、そんなことで2学期が始まる訳です。毎年思うのですが、幼児期の子どもたちにとって夏休みの40日間というのは本当に長い時間なんです。まず、ほとんどの子どもの体がひとまわり大きくなっています。それはもう一目でわかるくらい成長するのです。体だけでなく心も広く大きくなって登園してきます。友だちや状況を受け入れる許容量が増えて、全体的に優しい雰囲気になっているように感じます。今学期も楽しい毎日が過ごせそうです。
子どもたちの自立を、いつも考えています。それは自律でもあります。自分の意志で生活できる子どもであってほしいし、大人になってほしいと願っています。そのための幼児期を過ごしてほしいのです。けれどもそのために「自立するんだよ」「自立しようね」と言ってみてもなんの役にもたちません。それはあまりにも安易で短絡的な方法なのですが、そういうやりかたをしている人達が多いのです。
将来自立するためには、今、幼児期から、自立していなければいけないと考えてのことでしょう。それは間違いです。“がんばれ!がんばれ!”の幼児期を過ごした子どもが、将来、頑張れる大人になれるわけではないのと同じことです。
一番大切なのは、ご両親をはじめとする大人の愛情を十分に感じながら成長するということです。失敗をしても「いいんだよ。大丈夫だよ」と許され、安心して生活できる環境の中にいることです。その中で失敗(幼児期の失敗はほとんど誰も困らない程度のものです)をくりかえしながら、彼らの価値観が出来上がっていくのです。
そのために大切なことは、やっぱり“遊ぶ”ということです。友だちと遊ぶ中で仲良くしたり、衝突したり仲直りをしたり、様々な経験をします。そしてそれは、その度毎に違った状況にあるわけですから、もう大人のイメージをはるかに超える数の経験になります。そして子どもたちは友だちを“思いやる・心使う”ことを知るのです。思いやりあう心のない自立はないと思います。
そして、遊びは自由さが基本です。自由な心のない遊びはないのです。“…遊び”などと“遊び”と名前さえつければそれは遊びだと勘違いしている人達がたくさんいます。それこそ“勉強遊び”などといいながら、大人が子どもをひっぱりまわす現実が多いことか。幼児期に自由をしっかり知るのは本当に大切なことです。自由の素晴らしさ、大事さ、たいへんさを遊ぶという自由な生活の中で身につけてほしいと思います。
最近、自立できない大人の話を聞くたびに自立への道を思います。